こんばんわー
連日猛暑猛暑で・・・危険な暑さが続いていますね~・・・(*_*;
「お暑ぅございます~」
と挨拶をしたら(社交辞令)
「夏というものは暑いものです」
と無表情で言い放った、という逸話が残るのが長州の「大村益次郎」ですね^^;
いわゆる、頭は良いがめっちゃ「嫌なやつ」的なキャラだったことが伺えるエピソードです・・笑
さて、これはまだ今年の春先のこと・・・ワタクシ、突発性難聴に罹ってしまい方耳が聴こえなくなり^^;もはや神頼みしかない・・!と滋賀県は日野町「綿向神社」を参拝した時のことです・・。(現在はおかげさまで回復)
綿向神社のログは既に「司馬遼太郎をゆく」に上げましたが、それっきり編集出来ずにあった「旧山中正吉邸」をUPしたいと思います^^;
と、その前にこの松!
向こうの右手の奥に見えるのが綿向神社の正面になりますが、かつてはこの綿向神社の参道を松が覆っていたそうです。
『伝 若松の森跡』
天正18年、蒲生氏郷が会津黒川城主に封じられた時
黒川の名を故郷日野城の近くにあった若松の森の名にちなんで
会津黒川を会津若松の名称に改めたと伝えられる。
その若松の森とは、ここ綿向神社の参道を覆っていた森であったという
古書によれば、江戸時代の中期に多くの松が枯れ、伐り除かれて人家が
建ったと書かれている。
現在の松樹は名将氏郷が遠く会津の地より故郷を懐かしんだ名残の松である
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なるほど~・・・会津若松の名称の由来になる松だったんですね・・!へえ~
それより以前に伊勢松坂の大名になった時にも、この「松」も若松の森から取ったとも言われているみたいですね。日野商人を呼び寄せ松阪にて楽市楽座にして商工業奨励、伊勢街道のコースを変え、お伊勢参りの客を呼び込んで街は大変な賑わいになったそうですね。
ちなみにこの方もキリシタン大名?洗礼を受けていましたよね・・?たしかレオン?とか・・・。
と、いうことでようやく「旧山中正吉邸」です^^;
「近江日野商人ふるさと館」として、近江商人の歴史を伝える資料館となっているようです(^^)
入館料は300円。皆さまのご協力により、文化財の保存が成り立っております!笑
ちわーっ・・・。
ええ、もちろん・・・私以外の見学客は誰もいません^^;
お庭には、梅が咲いちょる・・・^^;
邸宅内を見学して驚いたのがこの、蝙蝠の釘隠しです!!
コウモリの釘隠し・・・(゜゜)!
そうです、咄嗟に連想したのはそう!日野!
新撰組巡りで訪れた東京日野市の「新撰組ふるさと歴史館・日野宿本陣」です!
そうそう・・!初めて滋賀に移住した時「日野ふるさと祭り」とかなんとかって聞いて、えっ・・!日野?新撰組にまつわる祭りが滋賀にもあったの・・!?と勘違いしたんですが^^;そもそも滋賀の日野町と、東京の日野市って全然関係無いのでしょうか・・・?単なる偶然??
いずれにしましても、日野宿本陣で聞いた「蝙蝠の釘隠しは全国的にも珍しく、ここと薩摩の仙巌園にしか無い」ということでしたが、ここにもあるやん・・!笑
蝙蝠というと、我々一般にはなんだかちょっと・・気味悪いもののイメージがありますが・・・吉祥なものとして家の釘隠しのモチーフに使われていたみたいですね。
ちなみにこちらの「霊芝雲」も吉祥なものとされているようですが、私はこれに連想したのが平等院の「雲中供養菩薩像」でしたね^^;!雲に乗ったかわいらしい菩薩さまが、ふわり跳ぶ様子を思い浮かべてしまいました・・はい・・只今目下、絶賛仏像ハマり中です・・!笑
いや・・・しかし不思議ですね・・・。同じ「日野」にあって同じく「蝙蝠の釘隠し」・・・。本当に繋がりは無いのでしょうか・・?たまたま??
ついつい釘隠しにばかり気持ちを奪われてしまいましたが^^;客や文化人をもてなす豪華な客間の座敷などに、近江商人の繁栄ぶりが見えるのでありました・・・。
庭がすげえし・・・・笑
日野町のトラディショナルゾーンは、なんだかとっても時間がゆっくり漂っているような感覚で・・ポカポカ陽気の日などはのんびりブラブラ~っとするのが最高に気持ちいい感じです(^^)
時間の長さは人それぞれ違う、とか、感じ方によって違うんだ、というこれまた相対性理論?を体感したような・・そんな不思議な気分になるひとときでした(^^)
本日もお付き合い、ありがとうございました(^^)
@滋賀2022