油小路は五条上ルは上金仏町。
ここに、「山本亡羊読書室旧蹟」があります。
何のことやらよく解らなかったのですが・・・ある日「歴史発掘ミステリー京都千年蔵」という番組でここが取り上げられていて、あっ!!ここか!!と感動しました!
いやはや・・さすがは京の都には、とてつもない史跡がこれでもか!とばかりに存在していて・・まったくもって飽きることがありません・・!
「歴史発掘ミステリー京都千年蔵」と言えば、前回取り上げた「証拠の阿弥陀さま」、「大原問答」の勝林院が第一回放送で取り上げられていて、その時はたまたま勝林院を訪れた直後に番組を見て感動したのですが、今回はその番組を見てここを知ったというものでした。
山本亡羊は安永生まれの江戸後期の医者で学者、本草学者で高槻藩の臨時御用医を務めていたそうです。
薬の効用を研究する為、植物を育てながら研究し書庫を設立、各地からあらゆる珍しいものを集め物産会なども開催していたようですが、仲間と研究に没頭していました。
各地の変わったものを収集して集う門人たちは、言わば一種の奇人の集まり?でもあり・・、そんな奇人達の興味あるがまま研究が行われていたそうです・・。
そして、私が最も驚いたのが、その山本亡羊読書室の門人の中に「北海道の名付け親」、松浦武四郎がいたことです・・!
天保三年(1832)に三重で行われた物産会で山本亡羊と松浦武四郎は出会ったそうで、「奇人」たちの集まりの中でも?奇人中の奇人だった松浦武四郎、あだ名は「乞食の武四郎」だったそうです・・・!笑
石ころから石器、古い硬貨等あらゆるガラクタを収集していたらしいです・・。
道民にはよく名の知れた人物だと思うのですが、私も道民時代からリスペクトする偉人の一人です!
写真は松阪市の「松浦武四郎記念館」でのものですが、2019年に訪れた時は非常に感激しました・・。ここが松浦武四郎の故郷なんだ・・と
武四郎の実家の前は、旧伊勢街道。
実家の窓からは、お伊勢参りの人々が行き来する様子が見えていたことでしょう。そんな「旅人」達を絶えず目にしていた武四郎は、旅に出る思いをつのらせていったのではないでしょうか。武四郎の生誕地を訪れて、そんな気がしました。
北海道を訪れて、松浦武四郎に触れるスポットのひとつとしては、「ひかりごけ」で有名な羅臼の「マッカウス洞窟」ではないでしょうか?
最近は崩落の危険性があって閉鎖されている?のか、直近の事情は分かりませんが・・・、洞窟前の看板には武四郎がここで野宿した事が説明されていました。
知床観光でマッカウス洞窟を訪れて、武四郎の事を知ったという方も多いのではないでしょうか。
野宿の折、夜中に熊が出てきて恐ろしい体験をしたと日記に書いている部分に臨場感を感じますよね。
いつ熊がそこに現れてもおかしくない環境で、この武四郎の話に背筋をひんやりさせた肩も多いのではないでしょうか。
また、釧路の幣舞橋のドン突きのロータリーに、大きな花時計があると思うのですが、その上が公園になっていて、そこにも松浦武四郎の銅像があります。
絵は2006年当時のものですが、この武四郎に会う為に、札幌から遠路走ってきました・・笑
アイヌに現地の事を教えてもらいながら旅をする武四郎の図、だと思いますが、武四郎・・実に一日に60km以上も歩いたと言われ、北海道を一万km以上も歩いて「鉄の脚」と称されていたそうなんです・・!
これは江戸時代においても歩き慣れた人の2倍に当たるそうで・・、人間離れしていると言わざるを得ません・・・。
現代においても、いわゆる車の年間の走行距離が北海道の人は内地の人の約2倍、と言われているので、それを聞くと私の中では「江戸時代の武四郎」を連想してしまうのです・・笑
これには「神足歩行の術」という秘伝書も残るそうで・・、なんでも「千鳥」とか名の付いた歩き方をしていたそうなんです・・。
恐らく手足を脱力し、「なんば走り」のような動きでひょいひょいと千鳥足で進んでいくような、そんな歩き方であったんじゃないかということでした。
この歩き方だと、心肺機能への負担は軽く無いものの、足腰の筋肉への負担は軽かったようです。
こうした点も、武四郎の出身地を鑑みると、もしかして忍術に通ずる面もあったんじゃないか・・などと考えてしまいますね。
さて、その武四郎。
山本亡羊読書室の蔵には、武四郎が送ってきたエゾシマネズミの標本が見つかっているそうで、他にもシシャモの絵等北海道ゆかりの品を送っていました。
武四郎は蝦夷地の重要性を訴えており、ロシアが蝦夷地を狙っているから守らねばならない、和人とアイヌは一枚岩になるべきだ等、アイヌ文化の保護も読書室に訴えていたようです。
世の中は広く、我々の知らないものがたくさんある!
こうした好奇心が武四郎の蝦夷地の冒険に駆り立てていたとすると、山本亡羊読書室にあった「好奇心」が北海道の名付け親としての武四郎を生んだとも言えるような気がして、長年北海道に暮らしてきた自分には、松浦武四郎の「心の発火点」をみているような気がして、感慨深いものがありました・・。
@京都2022