旧伊勢街道。由緒正しきおっさんの愉しみ、
司馬遼太郎の「
街道をゆく」ですね。この道幅、道民目線ではどこもかしこも非常に狭い・・、そして独特の曲がりくねり、醸し出す雰囲気があったら、そこは旧街道という場合が多いですね。
この旧伊勢街道沿いに、北海道を代表する偉人の一人、
松浦武四郎の生家がありました
松阪市指定史跡「
松浦武四郎誕生地」。非常に綺麗な看板と、例の有名な武四郎の写真が出ております
この地に生まれ育った武四郎は、やがて
蝦夷地の大冒険家となるのです。そして北海道の名付けの親へ。
綺麗に整備された武四郎の生家跡は、我々来訪者をもてなしてくれる館として開館しておりました。嬉しいですね、ここを訪れた道民の方々も多いのではないでしょうか?むしろ
三重県や
松阪市といったご地元よりも、
北海道民に知られた偉人とも言えるのではないでしょうか。
館内を見学させていただきます。なかなかお洒落に展開されております
やはり特筆すべきはこの窓、ではないでしょうか。武四郎はこの窓から、お
伊勢参りに行き来する街道の人々を眺めていたといいます。旅情をそそり、好奇心を駆り立てる旅行者の姿に感化されていたのでしょう。ここを見学し、大変感慨深い思いがしました。
灯に照らされた「北海道」の文字。・・・郷愁に駆られます・・・。ところで、「道」というものですが、県というものが郡県制という中央集権を意味する言葉に対して、中央集権が及ばないという、そういう特別な意味を持っているものだと私は考えます。悪く言えば外地、まさに
蝦夷地なのですが、私の捉え方としてはそれだけ「自由」な別天地なのです。沖縄「県」とてそれが敷かれている、帝の中央集権が及ぶのは青森まで、という意味もあろうかと・・。
南へ行けば
伊勢神宮、北へ行けば
東海道。伊勢街道を歩く多くの旅人は、文政の「おかげ参り」で年間400~500万人にも上ったそうです。
街道をゆく多くの旅人に刺激を受けた武四郎は、28歳で
蝦夷地を探索するのです。武四郎なくして「北海道」なし。