うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

菅江真澄の墓@秋田2018

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年末の紅白を観ていて、竹原ピストルを見て思わず連想した、「常かぶりさん」こと菅江真澄。いつも頭巾をかぶっているスタイルだったそうです。藩主の佐竹義和が真澄に会いたがった際、「頭巾のままでよろしいでしょうか?」と、なんと頭巾のまま拝謁したといいます。江戸時代の旅人、というのでしょうか、東北、蝦夷地を旅して周り晩年は秋田で亡くなった方です。
私が興味をひかれたのはその時代です。時は重商主義で「賄賂政治」と悪名高い田沼意次から「寛政の改革」で有名な松平定信に政治が移る時代です。ロシア船など外国船が多く姿を現し始め、蝦夷地海防強化の為探索に出させたり、大黒屋光太夫が漂流したり、私の好きな高田屋嘉兵衛が活躍し、ゴロウニン事件なんかも起こる、私の中の「幕末」はアメリカ、黒船ではなく、ロシア、蝦夷地から始まった、というのが持論でして、そういう意味では「幕末が始まっためちゃくちゃ面白い時代」なわけです。上記、田沼意次なども決して「悪人」だけの部分を見ていませんし、私はむしろ田沼を評価する類です。そんなど真ん中な時代に活躍した人物として、菅江真澄に興味を抱きました。
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例によって、旧羽州街道が通る寺内地区。街道からさらに小路に入り、菅江真澄の墓を目指します。後城という地名が小路沿いに書いてありました。
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小高い丘の上に、菅江真澄の墓はありました
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三河の出身で江戸時代の旅人。旅する民衆観察者、国学の造詣が深く絵も上手い。更に薬草等の医学にも知識があったといい、旅の先々で現地の人々にそうした施しを行って信頼を得ていったのでしょう。なにせ当時は写真もビデオも無い時代ですから、筆で書き留めるしか記録の手段が無いわけで、そんな時代の在りようを絵まで交えて詳細に記録した、というのは本当に貴重なことだと思います。
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秋田県では男鹿市の「なまはげ」が有名ですが、なまはげの風習を記録した最古のものが、菅江真澄の残した絵入りの記録なのです。古文書が読めない私のようなド素人でも、その絵はわかる。非常に貴重なアーカイブです。
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長く北海道に暮らした私も、ここに来るまで菅江真澄のことを知りませんでした。秋田県立博物館に菅江真澄の詳しい展示がありますが、思わず蝦夷地の足跡を長時間見続けてしまいました・・。非常に綺麗な展示ですので、必見です。
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