うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

「栗田神社」@秋田市2018

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由緒正しきオヤジの愉しみ?として、司馬遼太郎先生の世界を歩く、というものがあります(笑)今回は司馬先生の「街道をゆく」秋田編を歩きました。秋田市にある新屋町、雄物川河口近くに「栗田町」があります。
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佐竹家家中の「栗田定之丞」(1767-1827)。「御物書」という今で言う書記・記録係で、「加勢」と呼ばれる、これまた今で言うところの非正規社員という身分でした。ロシア船をはじめとする異国船が出没する時代、田沼意次松平定信という私の大好きな時代のひとつなのですが、松平定信は寛政3年(1791)、海岸をもつ諸藩に警備の強化を命じます。これを受け、秋田県浜田中村字に秋田藩は見張り番所をたてました。栗田定之丞は寛政8年にこの仕事をします。
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栗田はその時、飛砂の被害を目の当たりにしました。村が飛砂で埋もれてしまう程だったそうです。その後、「砂留役」を秋田県北部の山本郡で任じたそうです。
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栗田はこの飛砂の抑制に心血を注ぎ、新屋や能代の海岸に砂防林を作りました。
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栗田亡き後、村人達は感謝し、神社を建立したそうです
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それがここ、新屋にある「栗田神社」というわけですね
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相変わらず、こうした所には誰もいません(苦笑)。犬を連れて散歩したであろう、足跡が積雪に刻まれているだけです。
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神社のみならず、町名にもなっている「栗田」に驚きました。司馬遼太郎先生は以下のように記しています。
「いすれにしても、秋田における最大の先人といえるのではないか」
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