う~む・・失礼ながら、意外と立派です・・。私も各地色々なマイナーセンターへ足を運んで参りましたが、こうした「記念館」とはえてして・・・、なものであり、大概誰もいない感じなのですが、良い意味で予想を覆されました・・苦笑
館内入口に入ると、床には大きな「蝦夷地」の地図が!う~む・・・地図好きうめじろうが道民時代にどれだけ目を凝らしたであろう愛着溢れるフォルム。どこがどういう景観で云々・・、まさにそれの大先人、偉大なる大先輩が松浦武四郎先生なのである!
きた!素晴らしいパネルの展示!ご周知、「北海道」の名付けの親、松浦武四郎なのである!「北加伊道」、「カイ」とは、この土地に生まれたもの、の意味であり、武四郎は天塩川流域のアイヌの長老に教わった言葉である。ちなみに「カイ」という雑誌が地元北海道で出されており、vol.9「幕末は蝦夷地から始まった」は、私の愛蔵書のひとつとなっています。
偉人の銅像。写真と少し違って、やや歌丸師匠のようにも・・見えます・・。上記パネルの有名な写真ですが、私はかねてから所ジョージに似ているなぁ・・と思っておりまして・・、さらに仕事の取引先さんにそっくりな方がいたんです・・笑
武四郎の銅像のバックの写真がまた、郷愁を誘います・・・。冬の大雪山であろうこの写真・・、くううう・・・・この景色・・泣けてきます・・。
展示は非常に綺麗になされていました。松浦武四郎を敬愛する者としては、とても嬉しいですね!テンションが上がります
この時代、同じように諸国を旅する「冒険家」がいますが、例えば秋田に暮らした菅江真澄もそうですが、皆、総じて絵が上手いです。当然、今のようにカメラなんてありませんから、文字と絵が全てなわけです。このような小さな手帳に、しかも実に精細に旅の様子が描かれ記録されています。現代で言えばスマホと同じような「記録装置」になりましょうか、非常に細やかに丁寧に描かれていることに驚きを隠せません・・。と、同時に、そこに並々ならぬ現地での感動、そして愛情・愛着といったものを感じ取ることが出来ます。
幾重にも折られた跡が残る蝦夷地の地図。持ち運び、保存もアナログですから、大変だったと思いますし、また一方で、「だからこそ」今に残った、とも言えそうです。そういう意味では、全てがデジタルデータとなってしまった現在の記録は、果たして未来に残っていくのだろうか?と懸念を覚えてしまいます。
この地図は面白いですね。千島列島から、北海道を観ています。地図も逆さに観れば途端にどこか理解出来なくなってしまいます。これぞまさに、相対性理論のひとつ?と思ってしまいます。
交流のあった人々、に有名どころが出て来ます。吉田松陰にも会っていたんですね、どちらかというとこれまで、あまり武四郎とのリンクを感じさせられないでいました。
松浦武四郎愛用の品の数々の展示。これは、すごい・・。本人が使用していたリアルな品は、まさにタイムマシンだな、と、いつも感動します。
武四郎と奥さん「とう」の写真。これは初めて見ました。
「我らが」北海道日本ハムファイターズのユニフォーム。松浦武四郎生誕200年を記念した、背番号「200」。
いやー!大変感慨深い武四郎記念館訪問となりました。道民時代から、ずっと訪れてみたかった松浦武四郎の故郷。今回、ようやくその念願が叶いました。しかし、松浦武四郎その人は、恐らくは地元の方よりも道民の方々の方が知っているのではないか?という思いもあり、もっと地元の方にも武四郎の凄さを知っていただきたい、と心から思うのであります。優しいんですよね、武四郎さんは人間として。
この後は松浦武四郎の生家を訪れます。