うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

「鬼滅の刃」のモチーフ??「慟哭の谷」三毛別熊事件を再録

f:id:a-jyanaika:20210202125758j:plain

以前にも一度触れましたが、「三毛別熊事件」。木村盛武氏の「慟哭の谷」がその有り様を強烈に記録していまして、ご興味のある方にはぜひ、オススメするところです。(かなりグロイ衝撃的なドキュメントです・・)

さて、年末までの繁忙からやや解放された私は、21年間の北海道民としての暮らしを、過去の写真から辿っておりましたが、ひょんな事から次のような話を耳にしたのです。

鬼滅の刃三毛別熊事件をモチーフとしている」

ええっ・・!?そうなの・・・!?
この作品は大正時代の話で、なんでも、丹治郎の父が9尺の巨大クマと闘った?んですか・・??
誠に申し訳無いのですが、これほど流行っているにも関わらず、その作品を私は見ていないので内容は知りませんが、昨年から大ヒットしている「鬼滅の刃」と、三毛別熊事件が関係している?と聞くに及び、私の知っているのは後者の方だけですが、再度取り上げてみることといたしました。

f:id:a-jyanaika:20210202130935j:plain

三毛別」とは、北海道苫前郡苫前村三毛別という土地で、そこで起こった事件の為、「苫前三毛別事件」などとも呼ばれていたように記憶しています。
三毛別熊事件」は、大正四年12月9~14日にかけて巨大ヒグマが幾度も民化を襲い、10人を殺傷した「史上最大の獣害事件」とされている事件です。
上記、木村盛武氏の「慟哭の谷」を当時読んだ私は、何とも言えない陰惨な気分に陥り、未だずっとその強烈な恐怖が心に刻まれております・・。

f:id:a-jyanaika:20210202132050j:plain

「本町の開拓にまつわる史実」

大正四年十二月九、十の両日冬眠を逸した一頭のヒグマが空腹から凶暴性を発揮し十人の婦女子を殺傷した事件がありました
この図は熊害史上最大の悲劇の起きた明景宅(十日夜)を襲った熊の足取りを示したものであります
熊は前日(九日)襲った太田家の通夜に再び現れたあとその足で明景宅を襲ったのです
ここには付近の女子供達十人が避難をしていたのです
激しい物音と地響、窓のあたりを激しい勢で打ち破り、イロリを飛び越え巨大な熊が崩れ込んできたのです
大鍋はひっくり返り焚火はけ散らされランプは消えて逃げまどう女子達に巨熊は襲いかかったのです
臨月の婦人は「腹破らんでくれ」!!
「咽喰って殺して」と絶叫し続けついに意識を失ったのです
この巨熊も事件発生後六日目(十四日)人知に抗しきれずあえない最後を遂げたのです
巨熊は金毛を交えた黒褐色の雄、身の丈二・七米、体重三四〇瓩袈裟がけの七、八才と云はれております

 

私が現地を訪れたのは、さすがに記憶が定かではありませんが・・、たしか1998年の夏だったと思います。
苫前の古丹別の町から、三毛別川に沿うように、たしか「三渓」と呼ばれる地域の内陸に入っていったかと思います。地図で確認すると、道道1049を古丹別の町から約18km、その道路、「ベアーロード」と名付けられているようですが・・、これはちょっと・・・、どうなんでしょうね・・。

f:id:a-jyanaika:20210202140325j:plain

その現場に至るまでの道がまた、鬱蒼とした雰囲気でしてね・・・。まあ、こういう陰惨な事件があった場所だということがあるからかも知れませんが・・、真昼間でも鬱蒼として怖かった記憶です・・。
少し事件を振り返ってみますと・・、


12/9、六線沢と呼ばれていた集落の太田家に、巨大熊が出没し窓を突き破って侵入。家にいた妻と子供(養子)を殺害。妻のまゆを引きずり出して去る。
12/10、集落の男達でいなくなったまゆを捜索したところ、裏山で巨大熊と遭遇し、発砲するも熊は逃走。付近の木の下で、まゆの脚の一部と頭蓋の一部を発見し収容する。
同日夜、二人の通夜が執り行われていた所に、再び巨熊が出没し乱入する。棺桶が打ち返されて遺体が散らばり、大混乱の中熊は去っていった。
その頃、太田家から500mほど下流の明景宅には戸主の他、計10名が身を寄せていた。
太田家の通夜を襲撃してから去った巨熊は、その後20分も経たぬうちに今度は明景宅を襲撃した。巨熊に引きずり出された妊婦のタケは、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と絶叫し、胎児の命乞いをしたが無残にも上半身から喰われる。駆け付けた男達が発砲し、巨熊は山へと去っていったが、タケの腹は破られ、胎児は引きずり出されて死んだという。
その後通報を行けた警察により、討伐隊が置かれ巨熊の駆除にのりだす。
12/14、猟師より巨熊を射殺。集落で解剖した結果、胃から人肉や衣服が発見された。

熊を射殺し、山から集落に下ろして来る時、にわかに空が曇りはじめ雪が降って来たといいます。やがて激しい吹雪となり、この天候の急変を村人たちは「熊嵐」と呼んだそうです。これは吉村昭氏の小説の題名にもなっています。

f:id:a-jyanaika:20210202144637j:plain

この事件の持つ特殊性に、巨熊の残忍性があり、その執拗さが際立っていることが挙げられるでしょう・・。しかしここにはある意味、熊の持つ習性や、熊との共存における重大なヒントがあるとも言えるかも知れません・・。
そのひとつが、「穴持たず」です。通常であれば12月のこの時期、熊は冬眠している時期です。しかし、何らかの状況によって冬眠の機会を逸してしまう事があるそうです。こうした熊のことを、「穴持たず」というそうです。この熊も、冬眠時期に猟師に追われ、手負いに加えて「穴もたず」となり、更に極限の空腹状態も重なり凶暴化したものとみられます。
従って、冬季は熊は出没しない、という認識は非常に危険であることが分かります。仮に冬眠していたとしても、半覚醒状態ですから熊穴の近くで大きな音をたてたりすれば、熊は起きるでしょう。冬季に出くわした熊は空腹状態で、凶暴であろうことが容易に想像できますね。

f:id:a-jyanaika:20210202150229j:plain

三毛別熊事件の逸話では、討伐隊が敷かれて数日間は仕留められずにいましたが、ある夜、川の対岸にある切株の数が、本来あるよりも一本多く見えた事があったそうです。しかもそれが動いたように見えた為、怪しんだ発砲隊が発砲すると、その影は動きだし闇に消えて行ったという話がありました。
上の写真は、お分かりになりますでしょうか?
そうです、ヒグマの背中です。これは私が知床の沢で熊に出くわした時の写真ですが、このように??な影にしか見えない場合があるので大変危険です。特に朝夕、薄暗い状況下ではなおさら発見しにくいでしょう。当時「切株に見えた」という話は、非常によくわかりますね。

f:id:a-jyanaika:20210202151317j:plain

それともうひとつ、非常に注意すべき点がヒグマにとって獲物は自分の所有物だ、という点です。三毛別事件でも、熊は何度も執拗に民家を襲っています。特に最初の太田家の事例では、熊にとっては一度捕食した「自分の獲物」を、人間どもに「奪われた」という認識になります。それを通夜の場面で、「取り戻し」に行ったのです。棺桶を打ち壊したのも、「獲物」がそこにあるからですね・・。
ですから例えば山などで熊が出没し、リュックなどを荒らされて別の場所に持って行かれたとします。そんな場合は絶対にそのリュックを取りに行ってはいけない、という事です。それは既に「熊の所有物」ですから、取り返しに来たとみなされ襲われる危険性が非常に高くなるのです・・。
そして何度も人間を襲っている点。これもよく言われる事ですが、一度味をしめたら繰り返す、ですね・・。だからこそ、野生の熊に「むやみに食べ物を与えないでください」と注意喚起している訳です。それこそ知床等で、観光客が野生の動物に餌を与えてしまう、という問題が昔からありますが、残念ながらそこは全てが管理された「ふれあい牧場」では無いんですね・・。そこを取り違えることは、そこに暮らす人々を危険にさらしてしまう行為であり、また、現在では希少となった野生動物と人との共存も破壊してしまうことに繋がってしまうのです・・。

f:id:a-jyanaika:20210202155310j:plain

↑ついさっきまで、熊がそこにいたであろう痕跡・・・。

少し話が逸れてしまいましたが・・、超絶人気の「鬼滅の刃」が「三毛別熊事件」をモチーフにしている?ということを耳にして、史上最大の獣害事件と言われる三毛別事件と、熊について再度取り上げてみました。
熊や人との共存について正しく学び、二度とこうした悲惨な事件が起こらぬよう、心より願いたいと思います。

お付き合い、ありがとうございました

 

慟哭の谷(第7刷)【HOPPAライブラリー】

慟哭の谷(第7刷)【HOPPAライブラリー】

 

 

 

羆嵐(新潮文庫)

羆嵐(新潮文庫)