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こんばんわー
「ブッダ巡礼」のお時間がやって参りました!
今回の「ブッダ巡礼」は、御寺こと【泉涌寺】に祀られている観世音菩薩
【楊貴妃観音像】(重文)です!
「京の冬の旅」の泉涌寺の特別公開に合わせて「ブッダ巡礼」して来ました!
泉涌寺についてはまた後日UPいたします!
楊貴妃とは、いわゆる「世界三大美人」(クレオパトラ・楊貴妃・小野小町)の一人と言われる唐代の皇妃です
「楊貴妃観音像」は泉涌寺の開祖である月輪大師の弟子、湛海が建長7年(1255)に中国から持ち帰り泉涌寺に安置したものです
以後700年間、実に100年に一度の開帳・・(゜゜)という極秘仏でしたが・・
昭和31年から一般に公開されているそうです・・
そのエキゾチックな顔立ちから?江戸期になると、唐代の玄宗皇帝が楊貴妃の冥福を祈ってつくらせた・・という伝説が生まれ・・以来、通称「楊貴妃観音」と呼ばれるようになったそうです
「楊貴妃観音堂」の中の厨子に、楊貴妃観音像は安置されています
楊貴妃は幼名を「玉環」と言ったそうで、幼少の頃から際立つ美貌で17歳の時に皇帝の息子の妃選びに選ばれました
玄宗皇帝の18番目の息子、寿王と結婚した玉環でしたが・・しばらくは平和な暮らしが続きましたが・・
なんと玄宗皇帝は玉環を息子から奪ってしまったのであります・・・!(゚Д゚;)
この時玄宗皇帝56歳、玉環22歳・・・(;´Д`)加トちゃんかっ・・!(そういう問題でない・・!笑)
これにより玉環は貴妃となり、「楊貴妃」と呼ばれるようになりました
楊貴妃の美貌がいかに凄かったかという話を盛る為のエピソードなのかも?知れませんね・・・(・・;)
で・・まあ・・その後どうなったかというと例に漏れずといいますか・・・
カンタンに言うと、楊貴妃に夢中になっちゃった皇帝は政治から興味を失っちゃって・・親戚連中に政を任せてたら例によって喧嘩んなっちゃって・・世は乱れに乱れ世の中大混乱・・
ゴタゴタの挙句、楊貴妃は殺されてしまうんですね・・38歳の若さでお亡くなりになりました・・・
そんなエピソードをちらっと「予習」して、いよいよ「ブッダ巡礼」です!
うおおっ・・・!!
中央の厨子が開帳されていて、その中に【楊貴妃観音坐像】が安置されておりました!
おおおお~~・・・・・・・(゜゜)
たしかに・・どことなエキゾチックなお顔立ちはジャパーン!ぽくないですね・・(;'∀')w
こちらはパンフの写真にて、色まで残って鮮明に見えますが・・実際はもっと黒黒としていて・・
像までの距離も少しあったせいもあってよく見えない部分もあり・・これほどの色彩は無く見て取れました・・。
ただ・・そんな薄暗い中でもそのエキゾチックなお顔立ちは分かりましたし・・時代の「想い」みたいなものを吸ってきたオーラといったものはしっかりと感じ取れたように思います・・!
ちなみに口元の「髭」のように見える紋様ですが・・
これは髭ではなく、口元の動きを表現したものだとか。
さて、38歳の若さで殺されてしまったという楊貴妃・・・。
本当に亡くなってしまったのでしょうか・・・?
というのはいつもの私の「うめじろう妄想ワールド」な話では無く^^;実際に伝説が残っているそうです・・!
謎に包まれた楊貴妃の死は
というか・・いわゆる歴史上の人物の死なんて基本、「謎に包まれ」ていますので^^;なにも楊貴妃に限ったことじゃあないわなあ・・というのが私の所感ですが・・・
実は秘密裡に日本に渡り隠棲していた・・という伝承が残されているそうです・・!
山口県長門市にある「二尊院」には、楊貴妃が小舟に乗って漂着したという伝説と、「楊貴妃の墓」があるそうです・・・
また、名古屋の熱田神宮にも楊貴妃にまつわる伝承があり、楊貴妃は熱田の神様の化身だったという話もあるそうです・・!
まあ・・織田信長をはじめとする戦国武将や、幕末の志士、様々な「歴史上の人物」の死は偽装、海外に渡った説は巷間多々ありましたし・・
それらもまた・・ここへきて「国體衆」が真相を世に開示し出した中で出てきている話なんかもあって興味は尽きないところでありますが・・
さもありなん・・!
といったところでしょうか・・^_^;
ということで今回は、天皇家の菩提寺「御寺」泉涌寺にて【楊貴妃観音像】をブッダ巡礼いたしました!
毎回同じことを思い、同じことを言っていますが・・^^;こういうモノホンが観れるのは本当に豊でシアワセな事であります!
ぜひみなさまも「ブッダ巡礼」されてみてはいかがでしょうか(^^)
今回もお読みいただきありがとうございました
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