昨年の、北海道知床沖で観光遊覧船「KAZU1」が沈没するという痛ましい事故が記憶に新しいところではありますが・・
北海道は知床の観光スポットのひとつとして昔から有名な「マッカウス洞窟のひかりごけ」。
皆さんも観光で訪れた方も多いのではないでしょうか。
洞窟内の暗闇で怪しく緑色に光る「ひかりごけ」は非常に不気味なものでありますが・・・まさにその名のそのものの・・
『ひかりごけ』
という作品をご存知でしょうか?
物語は昭和28年9月、作者が知床を訪れた際に地元で聞いた昭和18年の戦時中に起きた事件「人喰い」の話をモチーフに書かれた作品です。
昭和18年12月、軍用の輸送船が知床沖にて遭難し船長と18歳の若い船員は小さな番屋に避難。それから約40日・・次第に衰弱してゆく二人・・。やがて青年船員が餓死しました。
その船員の肉を喰い、生き伸びた船長は翌年2月に救助され生還を果たします。
生還を喜ばれたのもつかの間、死体損壊が発覚し船長は逮捕され懲役1年の実刑になり、昭和から平成になる年に76歳で亡くなりました。
というのが実際に起こった事件です。
この事件をモチーフに書かれた作品では、昭和19年に軍の輸送船が遭難し船員4名がマッカウス洞窟に避難する、という話になっています。
遭難から3日後に、体調不良だった一名が死に、その肉を喰う喰わないで残った3人が揉めます。更に3日後、船長ともう一人の船員が死んだ仲間の肉を食べました・・。
食べなかったもう一人はやがて衰弱し死んでゆくのですが・・その目には人肉を食べた人間の首の後ろに鈍く光る・・まるでひかりごけの光のような緑色の光の輪が見えたのです・・!
「人の肉を喰った人間は、首の後ろにひかりごけの光とよく似た光の輪ができる」
避難場所のマッカウス洞窟とひかりごけがかけられた内容なのですが・・タイトで陰鬱な内容に加え・・非常に・・・何とも考えさせられる話と言いますか・・・
人間のあり様を問う深い内容なのであります・・・
その後船長は裁判に掛けられるのですが、
「私を裁けるのは人肉を喰ったことのある者だけ」
とし、
「私は我慢しているのです」
と繰り返します。
何を我慢しているというのか?という問い掛けに対しても
「例えばこの裁判を、私は我慢しているのです」
と、我慢しているを繰り返し、読み手の我々にその心を問い掛けてきます。
私は学生時代に「生きてこそ」という映画を見て、えらく感慨を覚えた記憶なのですが・・
これもまた、「ひかりごけ」と同じく人肉を喰って生き抜いた話なんですね・・。
こちらは1972年の南米のアンデス山脈で起きた飛行機墜落事故。
ウルグアイの大学ラグビー部員ら乗客乗員45名が乗った飛行機が、標高4200mの雪山に墜落し29名が生き残りました。
ここでも死んだ仲間の肉を喰い、事故から72日後に救出された時には16名が生存し生還を果たしました。
「アンデスの奇跡」と称賛され喜ばれましたが、日本の「ひかりごけ」とは対照的です。
双方とも、当事者たちは人の肉を喰っていいものなのか・・と非常に深く葛藤するのですが・・そここそがこれらの作品が視聴者に問い掛けるテーマなのですが・・最終的には宗教観の違いというか、そういった点が強く感じられる部分もまた感慨深いものでありました。
やはり欧米は合理的と言いますか、キリスト教においては生きているという価値が第一といいますか・・「何を食べたかの問題では無い」といった感覚があるように思えます。
また、カトリックにおける「聖体拝領」?キリストが亡くなる前に弟子たちに「キリストの血と肉にあたる葡萄酒とパンを身体に受け入れること」だと思うのですが、こうした思想にも「人の血肉を自分の身体に入れて生きる」という肯定感に繋がっている面もあるのでは・・?とも思いますね。
いわゆる「最期の晩餐」?はこれのことなんでしょうが・・
私はカツカレーにしようかどうかとか・・そんな悩みでシアワセです・・・^^;笑
「ひかりごけ」に立ち返りましょう。
「私は我慢しているのです」
という問い掛けは、作者の武田泰淳の戦争記憶から来ているのではないかという見方もあるようで、
つまりは戦時中、例えば東南アジアあたりでも戦時下で人肉喰いというのはあったの思うのです。
そこで人間としてあるべきか否か
といったような事を考えていられる状況にあったのかどうか・・・
時代・・その時代がどうあって、人間どこに産み落とされるやも知れない中において・・
「戦争」という不条理の中で生きている他ないじゃないか。
その時代やあり様を、一個の人間がどうすることも出来ない中にあって
あるいは我々が今生きているけれども、それは先人たちが命がけで拓いてくれた「生」であって、我々が今生きているという事は誰かが死んでいるという犠牲の上にあるとも言え・・・
誰かの命の上に今、生きている者がいるとするならば、
それは皆生きる者は人肉を喰らうて生きているようなものではないか
という問い掛けなんじゃないかと思うのです・・。
深いですよね・・・。
弱肉強食がこの世のあり様という意味においては、例えばサラリーマン社会における社内の弱肉強食な現実・・誰かを潰してその屍の上を踏みつけて自分だけが生き残ってゆく・・ということもまたこの世の現実であり、それは他人の肉を喰らって生きることと何も変わらないのではないのか・・
そんな投げ掛けをされているような気もするのです・・。
果たして、「人喰い」をあなたは否定出来るだけの人間ですか?
そんな問いが身に迫ってくる作品です。
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