こんばんわー
今日は「思い出ザムライ」です(^^)
実に・・2009年の絵で恐縮でございます・・・^^;
北海道は寿都町。
ここに、「弁慶岬」があります。
武蔵坊弁慶と言えばご周知、伝説×伝説×また伝説!
「弁慶伝説」で語られる歴史上の人物ですが、東北のみならず北海道にもその伝説がいつくか残っているんですよね(^^)
比叡山の僧兵だった弁慶は、西塔の「にない堂」をその怪力で天秤の如く持ち上げた、とか
三井寺の鐘を引きずって比叡山に持ち帰った(弁慶の引摺り鐘)とか・・
滋賀県でも大きな伝説が伝わる弁慶ですが、京の五条大橋で義経と戦い敗れ家来になった、という話も有名ですね
その、「義経」にまつわる伝説も多く北海道における弁慶伝説、義経伝説も密接に関係しているように思えてなりません
義経と弁慶は、実は東北で死んではおらず蝦夷地へ渡って隠棲していた、という都市伝説があります。
こうした歴史上の人物の「実は死んでいなかった説」は枚挙にいとまがなく、私は必ずしも色眼鏡でみているとも思えず・・実際には多くの事例があったのではないか、と考えている口です・・。
義経もそうですが世上、天海上人=明智光秀説とかが有名ではないでしょうか。
「実は死んではいなかった説」は、とんでも説として嘲笑されがちかも知れませんが、私があながち嘘では無いかもしれない、と思う理由は
本当にその人物が死んだかどうかなんて誰も知らないじゃん
と思うからです。
今でこそ一般的にはちゃんと死の確認が取られますが、それでも一部の方は不明な方もおられる訳で・・・
近代以前の時代など怪しいものですし・・平安・鎌倉時代なんてねえ・・・
特に高貴な方や権力者においては秘密裏にされることも多いと自然に思えますし・・・
だって今でこそ天皇陛下のお顔をメディア等と通じて民衆、誰もが知っていますが・・例えば幕末の孝明天皇のお顔を知っている民衆が当時何人いたでしょうか・・?
ざっくり言って、ゼロじゃね・・?と思いませんか・・^^;
そもそも見ちゃいけないワケですし・・・。
そういうお方が「亡くなられた」と言われてるだけが現実じゃないですか、本当の所は基本誰も知る術もなく・・・。
あまり深堀すると不敬なので・・^^;この辺りは止めにしときますが・・・
それがもっと遡って神話の時代とかの話になったらですよ・・
もう何でもあり、ですよね^^;
むしろそれが自然、とも思えてしまうからです・・・。
話を戻して義経は大陸に渡って「チンギス・ハン」になったという「義経ジンギスカン説」も有名ですよね(^^)
で、ここの「弁慶岬」。
北海道の地名はこれまたご周知、アイヌ語から来ているものが多いですが、この地も元々はアイヌ語で
「ペル・ケイ」(破れたところを意味する)と呼ばれていたんだそうです。
「ペル・ケイ」から「ベン・ケイ」に繋げた?ようですが、和人が訛って「ベンケイ」と発音していたと考えられそうですね。
寿都町に伝わる伝説として、東北から密かに蝦夷地に渡った義経と、家来の弁慶は一時期ここに隠棲していた、といわれているようでして、そんな逸話などから「ペル・ケイ」の岬を「ベンケイ岬」に結び付けたのかも知れませんね・・。
と、いうようなお話は、2009当時北海道在住だった私にはそこまで深く考えることもなく^^;単純に
ああ・・弁慶が実は密かに北海道まで渡っていて、この辺りで暮らしていたという伝説があるんでしょ・・くらいの興味レベルでした^^;
今となってはこの国の「歴史の本拠地」の一つである近畿で比叡山やら三井寺やらを身近にして、そんな弁慶岬の伝説がまた色を帯びて胸に迫って来る気がするのでした・・!
ちなみに、秋田に住まわせていただいた時には
「石田三成秋田隠棲説」に出会いその伝説をちょっと辿ってみたりもしましたが・・・地元の史家の先生には「わけがない」と一蹴されたという・・・^^;
それもほら、滋賀に移住して長浜あたりを巡ってですね、更に興奮しちゃうみたいな関連があるワケです・・!
あれ・・^^;
めっちゃ楽しく興奮してきたのは私だけでしょうか・・・・苦笑
いや~、歴史って
ほんっとうに面白いですね~~!!
それでは今日もお付き合いいただきまして、ありがとうございました(^^)
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ~(^^)/