うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

比叡山西塔「にない堂」@滋賀2020

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2020年の暮れ、比叡山の西塔エリアを訪れた時の記録です

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西塔の本堂にあたるのが「釈迦堂」(転法輪堂)です。釈迦堂は延暦寺に現存する最古の建築物だそうですが、元は三井寺の金堂だったものを、秀吉が文禄四年(1595)に西塔に移築したものだそうです。

 

毎回思うのですが、信長が移築した、秀吉が移築した、と言いますが、いったい当時重機も無いような時代に、どうしてこのような建築物を遠く離れた場所に「移築」出来るのでしょう・・。本当に毎回不思議に感じます・・・。

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ご本尊の釈迦如来にちなみ、一般に「釈迦堂」と呼ばれているらしいですが、境内にも仏像が鎮座しておりました。比叡のお山の独特な空気感に、お釈迦様のオーラを感じざるを得ません・・。

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そして西塔エリアの有名ポイントが、いわゆる「にない堂」ですね。釈迦堂からにない堂へと続く石段に、まず多くの人がキツイだどうのと、文句を漏らしてしまうポイントです・・笑 あなたも、「ふう~・・しんどいな・・」と漏らしませんでしたか?笑

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同じ形をした左右のお堂が、廊下によって繋がっている通称「にない堂」。
以前「ブラタモリ」でもやっていましたね!私ももちろん観ましたが、内部非公開のお堂の中でタモリさんが修行の「体験」をする場面がありました。こうした内部を見れるのは、テレビ番組ならではですね。もちろんこの日の私は、内部を見学することは出来ません。

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向かって右のお堂が「法華三昧」を修す法華堂。法華三昧行は、「四種三昧」と言われる比叡山で最も歴史の古い基本的な修行の中で、半行半坐三昧と言って、歩いたり座ったりしながら行をするものだそうです。

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そして向かって左のお堂が「常行堂」。90日間、不眠不休で念仏を唱え続けて阿弥陀如来の周囲を歩き、回り続けるという荒行の「常行三昧」。「ブラタモリ」でもタモリさんが「体験」されていたので、その様子がわかりました。

しかし・・、90日間、約三カ月も不眠不休など、そもそも人間に出来るものなのか・・、とにわかに信じられないです・・・。

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日に二時間程度?は、手すり等にもたれて眠ることは出来ると聞きますが、それでも座ってはいけない・・。人間、三カ月も経ち続けていられるものなのでしょうか・・。ただでさえ、真っ暗なお堂の中にいるだけで、方向感覚や平衡感覚さえも失ってしまいそうな私ですが・・、そんな私には到底無理な行です・・・。

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そんな「にない堂」の通称のルーツは、出ました「弁慶」ですね。武蔵坊弁慶と言えば、伝説に次ぐ伝説、各地に残る弁慶伝説には暇がありません。

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常行堂と法華堂をつなぐ廊下に弁慶が肩を入れ、天秤棒のようにして担いだ、という伝説により「にない堂」と言われているんだそうです。

怪力伝説の弁慶は、三井寺の鐘を比叡山まで引きずって持って来た、という伝説もありますが、この二つのお堂を担いでしまう、というのもまた怪力伝説ですね・・。

当時の僧とはいわゆる「僧兵」でしょうから、こうした弁慶伝説に想いを致してみると、信長の比叡山焼き討ち等も、逆に見ればいかに信長が比叡山の僧を恐れていたか、先日の勝林院の項でも触れましたが通説では姉川の戦いの後に衰退していったはずの浅井長政が実は大原を支配下においていて、鯖街道をおさえられていた信長は危機を感じていた、等の話にも関連して、単に信長の残虐非道な在り方だけでは無く、かなり「追い込まれていた信長」という側面と、そして比叡山の僧の「強靭さ」が掛け合わさって思えてくるのです。「弁慶伝説」には、そんな「信長の恐れ」をも浮き彫りにさせてくれるような気がしてしまいますね。

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最澄が開いた「母なるお山」比叡山。ここから、天台宗だけでなく様々な宗派の仏教を生み出した場所として、この二つのお堂を「つなぐ廊下」に見る思いがするのでした