うめじろうのええじゃないか!

日常の 嬉しい 楽しい 幸せを

【月と六ペンス】お一人で静かな時間を過ごしていただくためのお店です

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二条通りと高倉通りの角に、一見、何の変哲もないアパート?があります。

おおよそ、街往く観光客が行列を作る映え映えのショップとは真逆の、否、住民以外の人間がここに入って良いのだろうか・・と不安になる様相です・・

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恐る恐る階段を上ってゆくと

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足元に小さな札が、立て掛けられていました。どうやら、自転車の置き場所についての注意書きのようです。

ちょっと昔の、団地に住む友達の家に遊びに行った幼少の頃の記憶が蘇るような気がしました

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扉の前に来ると・・

まさにその、団地の玄関の扉そのもの・・・。

 

お一人で静かな時間を
過ごしていただくための
店でございます。
また、何かとお待たせする
ことが多々ございます。
大変恐縮ですが、お時間に
余裕の無い方はご遠慮下さい。

 

「月と六ペンス」

お一人で静かな時間を過ごすための喫茶店

扉を開けると、とても静かで優しいイケメンのマスターが迎えてくれました

「いらっしゃいませ」

店内のお客は見事に全員、女性。皆、壁から入る外の光に向かって、読書をされているようです。コーヒーと共に、軽食をされている方もいらっしゃいます。

「アイスコーヒーを、お願いします」

1971年までイギリスで製造されていたという6ペンスコインは、「結婚式へ向かう花嫁の、左靴の中に入れておくと幸せになれる」というラッキーアイテムなのだそうです。

だから女性客ばかりなのかと言えば、それは特に関係無いかも知れませんが、一人の時間を持ちたい、と思うのは人間の根源的欲求のひとつなのではないのでしょうか。人間は、「考えたい生き物」です。考える時は、静かな環境に在りたい。そうした場を提供して下さっているカフェなんでしょう、素敵な空間です。

 

そんな「6ペンス硬貨」ですが、1971年に製造中止された為、現在ではなかなか見つけることが難しくなっているそうですね・・。お店の名前の由来は存じませんが、そんな6ペンスコインの如く「見つけにくいお店」であることは違いないです・・。「月」は女性を表しているのでしょうか・・?

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さて、私事ですが・・、

本日は父の命日。阪神大震災のあの年の夏、この世を去りました。亨年48。

当時私は大学生で、北海道におりました。ある日突然掛かって来た親戚の叔母さんからの電話・・。お父さんが・・・お父さんが・・突然に・・・!すぐ、帰ってきて・・!

数年前から父のライフワークとなっていた、休日のジョギング。その日もいつもと変わらぬ週末の朝、「行ってくる」と言って家を出たそうです。

暫くし、市役所から発せられる放送

「先ほど  ○○神社の前で  眼鏡をかけた男性が」

どこの町でも同じであるように、町内の放送と言うものは得てして聴こえずらいものです・・。この時、朝食の支度をしていた母親は、放送で何を言っているかよく聞き取れない中で「はっ・・とした・・」そうです・・。

神社の前でたおれ、そのまま帰らぬ人となりました。くも膜下・・。救急車が駆け付けてくださった時には既に顔面蒼白で、事切れていたそうです・・・。僅か一か月前の人間ドックの結果が出て、どこも悪いところが無かった!と喜んでいた折のことでした・・。

当時学生でお金も無い私は、事情を言ってバイト先の社員さんに飛行機代を借りて飛行機に飛び乗り、東京へ急ぎ帰りました。急な事態に私も混乱を極めていました・・。あの夏、旭川空港へと向かう「二番線」の道中、玉のように眼に溜まった涙でフロントガラスの先がよく見えませんでした・・。道ゆく見知らぬ人、そして空を飛び回る鳥さえも、私に哀れな眼差しを向けているように思え、益々涙が溢れ返ってきたことを、思い出します・・・。

 

あれから・・・

この冬に誕生日を迎えると、いよいよ私も父と同じ年齢になります

これから、父が見なかった「先」を生きることになります

短命な家系でもありますし、果たしてこの先、いくつまで生かせていただけるのかはわかりませんが、父が生きれなかったこの「先」を、これからも一生懸命に、生かさせていただこうと思うのです。

そんな思いもあって、色々と日々模索する昨今なのですが・・、なかなかどうして・・、そりゃ世の中・・、自分の思い通りになんざ・・そう簡単に行きゃしませんね・・。

あなたから受け継いだ人への優しさによって、世間に揉まれ弾かれ見下され、虐げられる苦しみに喘いでいたとするならば、僕はそれを抱きしめて、誇りに思うことでしょう。意外と自分にレジリエンスがある事を感じたりもして、それもあなたから受け継いだものなんだろうと、思っています。

I’m sorry that I always worry you.

@京都2021.7