滋賀移住の2019年、とりあえず訪れた安土城跡でしたが・・・、その時は暑さと石段の高さにビビって見学するのを止めました・・^^;
その時は近くの「信長の館」に行ってシアターを観たんですけど、これが面白くてですね・・!迫力の画面に、ちょっと酔ってしまいそうになりながらも、その天主からの大パノラマを堪能したワケであります!
それから二年の時が過ぎ・・、朝の外気温9℃のこの日、これくらいの涼しさならばバテずに登れるだろう・・と満を持してようやく見学に至ったのであります^^;!
入口で700円をお支払い。
「JAFとか関係ありますか?」
「ありません」
最近、冷たくあしらわれる事多し・・・。JAFとか言ってること自体が、古いのかなあ・・^^;
さあ、歩きましょう。
今回はクリスマスも近いということで、ノブナガです!
え?クリスマスで何でノブナガ??
いわゆる戦国にはまったく無知の私でして・・、普段から妄想幕末ワールドがお得意分野でありますが、今回はまるで知らない戦国故に、うめじろうの妄想歴史ワールド全開でいきたいと思います^^;!
歴史にご興味ある方は、どうぞお付き合いのほどを!
いきなり妄想爆裂モードで恐縮ですが・・・^^;、私にはそういう認識でありまして、故にクリスマスにノブナガを、と思ったワケであります・・。
歴史上の人物評というのは、やれあいつは極悪人であったとか、いや、最近はそういう説は覆されつつあって、実は非常に出来た人物であった、とか、どうしても両極どっちかに持って行きたがる傾向がありますよね。
私は一人の人物において、その在り様がS極かN極かなんてはっきり言える事は無いと思っております。たとえ凡民の私たちであっても長所、短所がある訳で、こういう優れた面もあって、一方でそういう悪質な面もある、それが人間ではないでしょうか。「あの人めっちゃいい人だよね」の一面だけで周囲が固定観念を持って見てしまうから、例えば重大な事件発生時など、「まさか・・あんな出来た人が・・・。信じられない・・・」という感想になる訳であります。
誰しもが、心に天使も悪魔も持っている訳ですね。
それがまた、歴史上のVIPなどになりますと、どうしても色濃くはっきりと浮き彫りにさせたい「像」というのが出来てしまうのも、これまた無理も無い話なのかも知れません・・。
そういう点において、織田信長のイメージというと恐らく多くの方が、激烈で優れた武将でありながらやんちゃでワル、みたいな感じに思っておられるのではないでしょうか。私もその一人です^^;
「比叡山焼き討ち」で、多くの僧侶や子供の首も刎ねたという逸話も、そういうイメージに繋がっていると思います。
確かに現代の私たちからすると、誰かれ構わず惨殺するなんぞ、考えられない所業ですが、時は戦国、モラハラ、パワハラ、セクハラなんて当たり前。今とはまったく違う世界がそこにあった訳であります。
比叡山焼き討ちに関しては、実は当時信長が相当追い詰められていた可能性があった事を、「証拠の阿弥陀さま」勝林院の項で触れましたが、そうした面もあったことでしょう。
僧侶も、今の「お坊さん」というイメージでは想像もつかない屈強極まりない「僧兵」ですよね。まあ、南都にしろ山全体が言わば屈強な僧兵の軍事要塞ですから、軍事基地を攻撃した、と考えると今の私たちにも理解しやすいような気がいたします。
え・・?なんで「仏教」たる軍事基地を攻撃したかって・・?
イエズスが織田信長につけ入って、それに信長が「乗った」為だというのが私の妄想ナオブナガワールドです・・!
さて、だいぶ登ってきましたね・・。天主跡までもうひとふんばり・・!
我が国の元々の宗教の在り様とは、神道。その本質とは、先祖崇拝と自然信仰ですよね。
ここに、仏教が入ってきました。
ところで皆さんは、生まれ変わりというものを信じていますか?自分は死んだらまた、生まれ変わってくると。
これはいわゆる輪廻転生思想というものですよね。インドの仏教思想の輪廻転生思想ですが、私も最近では、そうなのかも知れないな・・などとも思うのですが、歴史という観点から見た場合、どうやら我々日本人というのはそうとは受け入れず、その自然科学的側面だけを都合よく取り入れているようなんです。
こうした「良いとこ取り」も、我々日本人のお得意な部分であるらしく、それはキリスト教文明が流入しても、その科学的精神だけを採用し、一神教思想は取り込まなかったんですね。(個人の思想の話をしているのではありません)
歴史的にキリスト教は元々、経済(貿易)と植民地経営を一体化させた経済宗教の様相を呈しているように思えるのですが、大航海時代におけるその「先鋭化部隊」とも言えるのが、イエズス会なんじゃないでしょうか。
そう、私たちが学校で教えられてきた誰もが知ってる「フランシスコ・ザビエル」。
誤解を恐れずに言うと、いわゆる侵略政略ですよね。布教し、貿易し、一神教思想に取り込み、そのシステムに取り込んでゆく。
覇道一神教。その象徴は「鉄砲」と「聖書」。ちなみに王道の象徴とは、「金印」と「儒教」ですね。
さて、信長の頃にはルイス・フロイスが来日し布教活動を行いますが、つまるところ、イエズスは信長につけ入って、信長もまた、それに乗ったと私は考えております。
織田信長につけ入って、信任を得、そして鯖街道を抑えられているという地政的側面も相重なって、既存の仏教を攻撃させた。こうした構図があったのではないかと思います。
そして今回、安土城跡を訪れて最も驚いたのがこの「石仏」です・・!!
なんとこの石仏、本丸に上がる大手道の石段に敷かれているんです・・!!足を掛けて登る階段に使われているんですよ・・!なんてバチあたりな・・!と思いませんか・・・(・・;)!
これってまさしく・・・「踏み絵」ですよね・・・(゜゜)!?
ん・・?いわゆる「踏み絵」って、家康がキリシタン禁令において導入したものですよね・・・。ってことは・・・
家康はこの安土城の「石仏の踏み石」から、「踏み絵」を導入したんじゃないのか・・!?って思ってしまいました・・・(゜゜)
これをそのまま残しているところが・・すごいです・・!安土城・・・!
この石仏を観るだけでも来る甲斐がある、と私は思えるのですが、どう思われますか・・?
興奮して歩くうちに、二の丸の信長公の廟に着きました。この東側が天主です。
この御廟の周りだけ、色付いた紅葉の葉が逆光に照らされてとても綺麗でした
不思議な空気感が漂っていました・・・
さて、お得意の妄想歴史ワールドを考えながら登ってきましたが、いよいよ本丸に到着です
でた!「天主閣址」!
お城って、なにも天守だけがお城じゃないのに、どうしても素人は天守=お城、捉えがちですよね・・・^^;
ほほう・・・
ここが・・あの豪華絢爛なド派手な天主が建っていた場所なんですね・・・。
あのシアターの映像を必死にイメージします!笑
天主を取り囲む石垣。ここも穴太衆が積んだんでしょうか・・・。
天主の北側に回り込むと、琵琶湖が遠くに望めました!
すごいですね~
ここから信長は、ふははははは!!と見降ろしていたのでしょうか^^;笑
天主から西側に降りた所に、かつての惣見寺跡がありました。
ん・・!
こ・・これは・・・(゜゜)
「湖南三山」のひとつ、「長寿寺」で知った「織田信長によって安土城内に移築されてしまった」という三重塔じゃないですか・・!?
うわっ・・ここで繋がった・・!ちょっとゾクっとしました・・・。
こちらがその、本堂があった場所のようなんですが、やはり琵琶湖が眺望できました。
しかし・・・不思議ですね・・・(・・;)なぜ、こんな所に寺を置いたのか・・・。
フロイスの「日本史」によると、信長は各地で人気のある仏像を集めて持ってくるように周囲に命じていたといい、こうした三重塔や仁王門なんかも、そうした一環で持ってこさせていた?のかも知れませんね・・。
戦国大名とは、本質的に自分の領国しか頭にないワケですよね。国がたとい危機に陥ってもそんな事は知ったこっちゃない・・^^;
そもそも「国」とは自分の領地そのものだから、そういうことですよね。つまりは自分の所の石高がどれだけなものか、それが世間の評価であって、今に例えれば企業人と一緒な感じ?ですよね。国益云々なんて関係なくて、そもそも自分のところの売上と利益がどんだけのものか。それイコール世間の評価。
そんな風に考えると、まったく異次元の世界と見えていた戦国時代が、急に現代と同じ視線で見えてくるような気がして、面白くて不思議です。
今回はカメラも持たず(スマホオンリーで)、ほんとにブラっと訪れた安土城跡でしたが、いや~・・・やっぱり面白かったですね!
またまた取り止めも無くなってきてしまったので^^;、今回はこのあたりにしておきたいと思います・・。
やはりこうした歴史の「現場」に直に触れるって、本当に贅沢なことだなあ・・と改めて思います(^^)
今回もお付き合い、どうもありがとうございました。
@滋賀2021