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快慶に逢いにゆく【大報恩寺】(千本釈迦堂)ブッダ巡礼@京都2022

奈良を訪れて以来、すっかり仏像の魅力にハマってしまった私ですが、最近では仏像巡りがまた新たな自身のアクティビティとして加わってしまいました^^;!

とにかくもう、近畿のどこを訪れても国宝、国宝、また国宝!重文のオンパレードにて、まったくもって凄過ぎる!まったく飽きない!飽きが来ない・・!笑

と、いうことで今回は通称「千本釈迦堂」、「大報恩寺」にやって来ました!

鎌倉時代初期に創建された古刹には、かのレジェンド仏師「運慶と快慶」の快慶の晩年の作品が安置されているのであります・・!

 

 

 

大報恩寺は安貞元年(1227)義空上人によって開創された寺だそうですが、義空上人とは藤原秀衡の孫とされているようです。

承久元年(1219)に夢を見て、大報恩寺の建立を発願、翌年に仮堂を建て、そこから実に10年近い年月をかけてこの寺を創ったということです。

この本堂がまず国宝!

応仁の乱の戦火からも免れ、今も創建当時そのままの姿で京洛最古の建造物だそうです・・!マジっすか・・・!!

ご本尊の釈迦如来像は、お厨子の中におられる様子で、お目に掛かることは叶いませんでした。お厨子へ、合掌ー。

やはり京都最古の建造物たるや、お堂の中は異様な空気感が感じられました・・・。

応仁の乱における刀痕」などが柱にある、と説明書きがありましたが・・・そもそも応仁の乱たるや何や・・?昔、教科書でその名は聞いたことがある、としか言いようがありません・・・!^^;

お堂の奥には「おかめ」の置物がたくさん展示されており、おかめ発祥の地でもある当寺へ全国各地から祈願成就の御礼として奉納されたもののようです。

その「おかめ」の伝承にも触れておきましょう。

「おかめ」は本堂建築で棟梁を務めた大工の妻で、棟凌である高次がお堂の建設中、重要な柱の寸法を間違えて切り誤ってしまいました・・・。

棟梁である夫がこれを心憂していたのを見た妻のおかめは、「いっそ枡組をほどこせば・・・」と助言し、この着想が結果的に工事を成功に導きました。

しかし、上棟式を待たずしておかめは、「女の提言によって棟梁としての大任を果たし得た、ということが世間に漏れ聞こえては・・夫の恥・・」と、自害してしまったのです・・・。

「この身はいっそ夫の名声に捧げましょう」

おかめのふくよかな笑顔からはまったく想像のつかない、そんな悲話があったのですね・・・。

サムライはいつ消えてしまったのか・・・常々想うところですが、本当に私たちの祖先は皆、男も女もサムライだなあと討ち震える想いを致します。

境内には本堂の前に大きなしだれ桜?の木がありまして・・・こちらが咲く時期にはさぞすごい景観がそこにあるんだろうと想像出来ます・・。

さぞ混むんでしょうね・・・。

ちなみにこの日は私の他、3,4組くらいしか参拝客は見ませんでした・・。

「おかめ発祥の地」としてか、「阿亀桜」と命名されているようです。

さて、いよいよここ「霊宝殿」にはお宝が安置されています・・!

ガラガラッ、と自動ドアが開き、更に奥の引き戸を開けると・・・。独特の饐えた臭いと言いましょうか・・・例えるなら昔の体育館の倉庫の臭いにも通じるような・・・。

でた!重文、国宝のお宝ががっつり・・・!鎌倉時代のお宝がザックザクです・・!!

慶派の仏師「定慶」の作と言われる「六観音」すごい迫力です・・。

そしてお目当ての「快慶」の仏像!

十大弟子像」!!(大報恩寺HPより)

うっはあ・・・・!これは圧巻・・!!!!

マジで・・今そこに生きているような気配さえ感じてしまいます・・・(゜゜)!

なんてか・・・・専門的な事は皆目解らないのですが・・なんか・・ディティールがめっちゃ精緻!!

ペンに例えるなら、極細のペンで描いているような線を感じる仏像です!!

いや~・・・!すげえ~~・・・!!

中でも私には「目犍連」と言われる像が印象的でして、何が印象的かと言うとその腕の「血管」です・・!なんかもう・・本当に生きている人の腕に浮き上がる血管のように感じて、一体どうやってこれを彫るのだ・・?と不思議でしょうがないですね・・!

ちなみに、この像だけが唯一「快慶」の自著があるそうで、弟子と共に創ったであろう「十大弟子像」の中でもこれだけは快慶の手によるものだとされているようです。

いや~・・・しかし・・・

マジで凄いです・・。まさに、圧巻・・・・。

こんな凄いものが京洛の古刹にひっそりとおわす、というところが鳥肌モンですね・・・。あの東山や祇園、嵐山等の観光客の喧騒を思うに・・・京都にはまったく別次元の世界が存在している・・と思わざるを得ません・・・!

しかし仏像って、必ず「誰か」に似ているような気がしませんか・・?

テレビに出てるような芸能人であったり、身近な身の周りにいる(いた)人であったり・・。私がいつも思うのは、必ずどこかかしらに「あばれる君」がいる、です^^;

いや~・・しかし・・、仏像、たまんないっすね・・・。

今後もまた、ブッダ巡礼、仏像に会いに出掛けたいと思います!

本日もお付き合い、ありがとうございました(^^)

@京都2022