うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

興福寺@奈良2020

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ここ暫く、新撰組コンテンツが続いておりましたので、志向を換えて「奈良」です。
由緒正しきおっさんの愉しみ、「司馬遼太郎をゆく」です^^;
南都の代表的な大寺が、藤原氏の氏寺である興福寺。しかしながら例の明治の廃仏毀釈にて、堂塔伽藍のあらかたが廃棄されてしまったそうです・・。それまでの興福寺は、東大寺よりも規模は大きく、現在の奈良公園界隈の広大な土地が寺領でありました。

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奈良ホテルに宿泊した司馬先生が、飲みに行く為に興福寺の境内を横切って歩くシーンが描かれていますが、私もそれに習って?奈良ホテル「側」から興福寺を歩いてみました。奈良ホテルは、興福寺の代表的な塔頭だった大乗院の庭園の中に建っているホテルで、明治12年創立のホテルです。さすが、作家先生が宿泊するような、いかにも、なホテルですよね。ちなみに私の宿泊したホテルは、2020年秋のGoto使用もあって、千円代でした・・^^;笑

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興福寺が現在の場所に移ったのが、和銅3年?710年!だそうです・・!何度か焼失するも、藤原氏の経済力でその都度再建されてきました。藤原氏の氏寺ということで、もはや当時の「世界を牛耳ってる人の寺」でしょうから、ナンボでも再建されてある意味当然、なんて思ってしまいますね・・。

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それにしても奈良の歴史はハンパ無いですね・・。余裕で1000年オーバー・・^^;私のフィールドである幕末なんざ、「ついこの前」です・・。
ちなみに、地球の歴史が約46億年?よく言われる、人類の歴史なんか時計に例えると、僅か1分にも満たない、なんて話がありますが、あまりに規模がデカ過ぎて実感がわきません・・。そこで、タモリさんが言う「お金に換えて捉える」が珠玉で、めちゃくちゃ実感出来るのです!地球の歴史が46億円。仮に奈良時代が1300年前だったとして、46億円のうち、「たったの」1300円なんです・・^^;!46億持ってる人からしたら、1000円代なんて、ウブゲですよね・・!笑
私の宿泊ホテルが4500円だったとして、更に司馬先生の奈良ホテルのスイートが30万だっとして、それどころの差じゃないんです・・!笑

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すみません、話が脱線してしまいました・・。
さて、奈良ホテルから興福寺の境内を横切って歩いてゆく司馬先生、塔の軒下を歩くシーンが描かれています

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この五重塔も何度か焼失したらしいが、現在の塔は室町時代のものらしい
1433年に復古再建されたらしい
塔の構造を上へゆくほど小さくちぢめてゆけば、はるかに天をめざすするどさが出る(法隆寺薬師寺の塔)
しかし、この五重塔は各層がほぼ同じでずっしりと重すぎる感じになっている

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なるほど、言われてみればその通りで、非常に重たい印象の塔です・・。上の層がいかにも重そうで、バランス的に崩れてこないものか・・と素人ながら余計な心配をしてしまう様相です・・。このあたりはまた、建築の面から見てゆく歴史、というのも非常に面白そうですね

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いや~・・、しかし、我ながら「司馬遼太郎を歩く」贅沢さを改めて実感しますね・・。知的欲求を刺激されて、本当に楽しいです!
秋田では、恐らく司馬遼太郎と関連付けてここを歩いた、という人は皆無であろう^^;という場所も楽しませていただきましたが、こうした世間的超ビックな観光スポットもまた、で、あるからこそ「司馬遼太郎を歩く」が活きてくるようにも思えますね。

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さて、興福寺と言えばもうひとつ、めちゃくちゃ「贅沢品」があります!
そう、「仏像」ですねー!これは実は二週連続で奈良を訪れたのですが、その一回目に行きまして^^;、もう、めちゃくちゃ興奮してしまったのですが、これもまた「司馬遼太郎を歩く」に載せましょう

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「阿修羅は私にとって代表的な奈良人」という司馬先生。興福寺の修羅像は「相変わらず蠱惑的だった」。人の心を引き付け、そしてまどわす様が表現されていると思います。

少女とも少年ともみえる清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき神秘的な表情がうかべられている
多量の愛、かつ大きすぎる自我をもっている
阿修羅のように多量の自我を持ってうまれた者は、困惑は闘争してやまず、困惑しぬかざるをえない

修羅像は私も実物を拝見しましたが、まさに男の子か女の子かわからない、見れば見る程にこちらが困惑していく気がしました。それでも私には女の子に見えましたが、それでいて尚、極めてキレイな顔立ちの男性アイドルとも見えるのでありました・・。司馬先生の表現を借りれば、「自我に苦しみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいをあらわしています」。

「シバさんは、こういう人はお好きですか?」と同行者に問われた司馬先生は、
「たれでも好きでしょう」とこたえます。
さらに、「こういう人、見たことありますか」と問われ、
たれでも見たこと、あるでしょう、とこたえます。
つまり、誰もが一度は眼にしたことがある普遍性、「少女崇拝の感情を濾過してゆくと、こうなると思います」と結んでいます。

なるほど、少女期にみせる一瞬の表情。絵にしろ彫刻にしろ、造形物においてこんな心の情景は私は一度も見た事が無かったかも知れません・・。あるとすれば、それは唄であるとか、無形のものにしか感じる事は出来ないと思っていました。
そうしたものがここに、しかも1000年以上も前に創造されていることに驚かされると同時に、現代より遥かに精神精度の高い文化というものを感じるのでありました・・。

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興福寺@奈良2020

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