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【治水神社】|宝暦治水|薩摩義士|@龍馬をゆく2022

大巻の薩摩工事役館跡から揖斐川沿いを南下し、治水神社へと向かいました。

揖斐川長良川に挟まれた細い陸地?の道路をゆくと、「宝暦治水碑」がありました。

 

 

 

 

「薩摩義士」による木曽三川の難工事の偉業を讃える「宝暦治水碑」。

なんでも明治33年の除幕式には山県有朋が迎えられたとか。碑の題字も山県筆のようですね。

丸に十の字の島津の家紋が刻まれています。

平田靱負を顕彰するレリーフ

この辺りは「千本松原」と呼ばれているらしいですね。

治水工事の後に植えられた松ということで、道に沿って焼く1km続いていました。

さて、宝暦治水碑から北上し、「治水神社」へと向かいました。

到着。

何やら神社正面右手には、カラフルな説明書きが設置されています・・!

おお・・。平田靱負のシルエットをバックに、宝暦治水の年表が。

漫画チックに描かれていて楽しげですが、もうひとつ内容が薄い気が・・・・。

なんだか淡々としていて、薩摩義士の激烈な苦心は伝わって来ません・・。

↓こちらの激烈極まる漫画が、宝暦治水を教えてくれます!

 

 

立派ですね・・。

島津家と、平田家の家紋が掲げられています!

明治33年建立の「宝暦治水碑」の後、平田大人を治水の神と讃える地元の人々の報恩感謝の熱い思いにより、昭和13年にここに神社を建立したそうです。

御祭神は平田靱負大人。治水に尽力された薩摩義士の功績を讃え、犠牲となった多くの藩士達を慰霊するお社です。

合掌ー。

本殿の内部には「薩摩義士」の文字が・・!

境内には「薩摩義士之像」というものも建立されていました

宝暦治水の工事の様子を現したものでしょうか

境内には非常に高い木々が茂っており、その木の上で鳥が巣を作っているらしく、グァガァと鳴き声を上げながら雛に餌を運んでいるのでしょうか、忙しく木と空を往来していました。

かなり奥に深くお社が祀られていて、林の中に佇む本殿には一種異様な空気があるように思えました。

治水神社の由緒を説明する看板。

境内すぐ脇に川の淵が接していていました。

その淵沿いに架けられていた「隼人橋」。

こんな所にも丸に十の字。

薩摩示現流と言えば、「猿叫」と共に自らが斬られるのも顧みず・・・ただ真っ直ぐに相手に向かって討つ!討つ!討つ!!という激烈なイメージがありますが・・・そんな「泣ごよかひっ翔べ!」な精神が、宝暦の難工事をも結果的に突破するに至った要素ではなかったでしょうか・・・。

そんな薩摩義士の「突破力」から、難関突破の神として人々が願いを込めているようでした。

幕末ファンになって以来、ずっと念願だった宝暦治水の地「治水神社」をようやく訪れる事が叶いました。

@岐阜2022.5