ご存知、「薩摩義士」。宝暦3年(1753)徳川幕府は木曽川の大規模な治水工事の「お手伝い」を薩摩藩に命じます。これは薩摩藩を財政的に弱体化させようとする幕府の露骨な弾圧だったんですね。工事費用は薩摩藩全額負担、総奉行の平田は一心にその責務を果たすべく尽力します。窮乏する藩財政に苦慮しながら、工事そのものの難しさに加え地元住民との軋轢、幕府による妨害工作等々辛辣を極めます。死者も続出する中、平田は工事をやり遂げ、最後には責任を取って自刃するのです・・。
鹿児島県と岐阜県の姉妹県盟約はこの治水工事に端を発しているようで、「民に尽くすもまた武士の本分」とした平田のリアルサムライ魄が後世に渡って深く感謝されています。