2020年11月、よみうり文化センターの講座「新撰組結成の地 壬生を歩く」に参加いたしました(^^)
「光縁寺」は新撰組ファンには有名スポットです。
ご周知、山南敬助ら新撰組隊士の墓があり、手を合わせに訪れたファンの方も多いことでしょう。私も2006年に初めて訪れましたが、滋賀に移住してからは何度か壬生を訪れ、光縁寺にも寄らせていただいております。
門前には「新撰組之墓」の石碑が。この石碑の上に瓦が載っていますが、2006年当時のログを見ると、載っていませんね。
光縁寺の案内書によりますと、新撰組と光縁寺の関係は、山南敬助との縁が元のようです。
お寺のすぐ前に、当時新撰組の馬小屋がありました。日々、門前を往来する隊士達、その中に副長の山南敬助もいました。山門を見上げれば、瓦には「丸に右離れ三つ葉立葵」、これは山南家と同じ家紋だったそうです。更に当時のご住職は山南と同い歳であったようで、山南との間に親交が生まれたそうです。
なるほど、この瓦が新撰組とお寺を繋いだものとして、石碑の上の載せたのでしょうか。石碑の頭に瓦が載る姿は見た事が無いので不思議に思いましたが、そういうことなんですね。
浄土宗の寺である光縁寺は知恩院の末寺ということですが、創建は慶長十八年(1613)頃、天明の大火で焼失し、文政二年(1819)に本堂、弘化三年(1846)に山門が再建されたそうで、現在に至っています。と、言う事は、本堂と山門、幕末当時のものということですね!(興奮!)
本堂の裏、墓地の敷地に無造作に?置かれている鬼瓦ですが、これは創建当時のものだったかと思いますが・・・ちょっと失念してしまいました・・すみません・・。
そして先生に引率されて、山南敬助らのお墓を参拝します。
日頃、単独でまず誰ひとりいない状況で「墓マイラー」をしている私には、ちょっと不思議な光景でした・・笑
山南敬助をはじめとする新撰組隊士の墓の様子は、巷間たくさんの方がUPされていますね。新撰組ファン、幕末ファンの方々の記載には、「やまなみ敬助」「さんなん敬助」に言及する項も多く、さすがに皆さん、お好きだなぁ~、と思わずニヤ付いてしまう自分があります・・笑 これはファンの間では有名でして、「やまなみ」もしくは「さんなん」だったという説があるのですね。ある文書に、山南のことを「三南」と書いているものもあったりして、口語で書かれているところから説得力を感じます。
山南敬助、河合耆三郎、松原忠司などが有名どころかと思いますが、現在は改葬されている伊東甲子太郎や藤堂平助、服部武雄や毛内有之助らも当時は光縁寺に埋葬されていました。
そして上写真、墓碑の脇にある「沖田氏縁者」。
これは自身の巡りでは気付きませんでしたが、戒名に「大姉」とあり、女性であることが示されています。沖田総司の縁者で女性・・!さて、誰だったんでしょう・・。これは沖田総司の女性ファンには大問題ですね・・!笑
このような、自身の幕末巡りでは気付かなかった点などを知れたのも、こうしたツアーの参加させていただけたからであって、前川邸の蔵だけじゃなく、やはり随所に楽しみがありますね。
お墓に手を合わせた後、本堂で御位牌にお参りし、先生の座学がありました。
ここでは作家・子母澤寛のお話があり、新撰組と言えば子母澤寛の「新撰組始末記」がまず挙げられるように、ある種現代における新撰組像を創った人であります。その、功罪についてのお話があって、これまた非常に興味深く面白かったです。
例えば有名な逸話である山南と明里との話であったり、つまるところ作家先生の「作品」ですから、「物語」であるわけですよね。これは私も大ファンの司馬遼太郎先生の作品も同様ですが、ジャーナリスト精神で極めて詳細な史実をお調べになっていて、その上卓越した英知で創造される訳ですから、どこまでが史実でどこからが創作なのかが絶妙過ぎて解らなかったりするのですね、他にそれについての史実を調べる人がいなかったり、史料が無かったりすると場合によってはそれが自然と史実として形作られていってしまったりするようなことになってゆくのでしょう、「作品」としてそこは、面白く書く事が「腕」でありましょうし、これは読み手(受け手)の捉え方の問題でもありましょう。
私は個人的に、そうした「作品」が大好きですので、同じく幕末や歴史好きでも「史実追及派」の方のような熱意は無いですね・・笑 否、作品をこよなく愛し愉しむ一方で、巷間で議論されるような史実を通り越して、更にその先にある見えない真実の方に断然興味をそそられてしまいます・・!笑
また、門をくぐって右手には、幕末の絵師である中島来章の碑もあります。
京都円山派の絵師で、幕末には「平安四名家 」と呼ばれていたそうです。来章は京都御所や二条城本丸に襖絵等を残しているそうですが、私的にはその子、有章が残したとされる「孝明天皇賀茂行幸」の屏風図の方に興味をそそられてしまいます・・!
これはまさに、巷間に溢れる幕末よもやま話から離れ、「その先にある真実」方向へのベクトルになりましょうから、色んな意味でヤバいですねー・・・苦笑
さて、帰り際、本堂もそうですが、この門。まさに山南ら当時新撰組の隊士らもくぐったであろう、目にしていたであろうものですから、特に感慨深く見入ってしまいました・・・。本堂しかり、この門も、本物の新撰組を見ていたんですからね・・・。
この後、ツアーは「新撰組の馬小屋があった場所」を案内されました