寺田屋で幕吏の襲撃から辛くも逃げ出した龍馬と慎蔵。その時に逃げ込んだとされる、濠川沿いの材木小屋があったであろう場所を再訪しました
上写真の道路を渡った反対側に、「坂本龍馬 避難の材木小屋跡」の碑が建てられていました
2006年時に訪れた際、ちょうどこの碑の後ろ側の川の写真を撮っていました。実際はこの碑よりも南側に材木小屋はあったそうです
しかし、「逃げ込んだ材木小屋」の跡を示す碑など建っているのは、坂本龍馬以外には誰もいないことでしょう・・。
幕吏の撃ち込みによって手に重傷を負った龍馬、今の感覚からしたらほぼ医療など無いに等しい当時に、よく感染症などで命を落とさなかったものだと、つくづく思います。そして「もはやこれまで」潔く切腹しましょうと言う三吉慎蔵に対し、どうせ死ぬなら僅かな望みを賭けて薩摩藩邸へ走れ!(命を自ら捨てるな)とする龍馬の感覚も、現代の私たちからしたら至極当然のことかもしれませんが、いかに死ぬか、という武士の時代の感覚からしたら、にわかに理解出来ぬことのように思えます。感性が「100年先にあった」ように思える龍馬は、まことにおもしろき男じゃき。