整然と整備された林間の公園に、支倉常長の立派な像が建っていました
小川を渡って、林の中へと歩を進めると・・、!うわっ・・!蛇です!!蛇がもの凄い速さで左から右へと足元の小路を横切りましたっ・・!!
そこから急に怖くなり・・、最後まで行くのやめようか・・と怖気づきましたが・・、何やら祠のようなものが見えてきました・・
ここですね。支倉常長が永眠しているとされる墓。綺麗な花が手向けられていました。まめに墓を守っていらっしゃる方がおられるということですね
現在の墓標は、擦れてしまっていて読み取れませんが、「梅安清公禅定紋 支倉氏」と刻まれているそうです
帰国後二年ほどで死去した、とされる定説では、常長51歳で亡くなったことになりますが、この町に隠棲していたとする説によると、84歳まで生きていた可能性があるそうです。そもそも、誰それがいつ死んだ、などというものはまるで信憑性が無く、ましてや江戸期以前におけるそれはなおさらだ、というのが私の持論です。
切支丹禁制の時代ど真ん中ですから、彼はまもなく死んだ、ことにした方が面倒が少ないと考える方が私には自然に思います。つまり何歳までかは分かりませんが、その後隠棲されていた、という方が真実味を感じますね。