うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

「支倉常長メモリアルパーク」@仙台2018

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「慶長遣欧使節」の支倉常長。その菩提寺「光明寺」に常長の墓がある、のが定説ですが、その他にも川崎町支倉地区の円福寺大郷町西光寺にも墓があるとされています。
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そしてこちらはその大郷町にある「支倉常長メモリアルパーク」です
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整然と整備された林間の公園に、支倉常長の立派な像が建っていました
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支倉常長の墓は、上記三か所の説がありますが、ここ大郷町での隠居説が有力視されている、ということで、こうした公園の整備に繋がっているのでしょうか?
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小川を渡って、林の中へと歩を進めると・・、!うわっ・・!蛇です!!蛇がもの凄い速さで左から右へと足元の小路を横切りましたっ・・!!
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そこから急に怖くなり・・、最後まで行くのやめようか・・と怖気づきましたが・・、何やら祠のようなものが見えてきました・・
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ここですね。支倉常長が永眠しているとされる墓。綺麗な花が手向けられていました。まめに墓を守っていらっしゃる方がおられるということですね
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現在の墓標は、擦れてしまっていて読み取れませんが、「梅安清公禅定紋 支倉氏」と刻まれているそうです
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帰国後二年ほどで死去した、とされる定説では、常長51歳で亡くなったことになりますが、この町に隠棲していたとする説によると、84歳まで生きていた可能性があるそうです。そもそも、誰それがいつ死んだ、などというものはまるで信憑性が無く、ましてや江戸期以前におけるそれはなおさらだ、というのが私の持論です。
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切支丹禁制の時代ど真ん中ですから、彼はまもなく死んだ、ことにした方が面倒が少ないと考える方が私には自然に思います。つまり何歳までかは分かりませんが、その後隠棲されていた、という方が真実味を感じますね。
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