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こんばんわー
「週末ジンジャー」です!
「静神社」は古来、鹿島神宮、香取神宮と共に「東国の三守護神」として崇拝されてきました
「常陸風土記」には「静織(しどり)の里」とあり、この音が縮まって「しず」の名になったと言われています
主祭神は「タケハヅチノミコト」(゜゜)マジカ!
あの最強の神・ミカボシカガセオを抑え込み平定したという織物の神・・(゚Д゚;)
大甕神社まではここから真東に直線距離で約17km!ち・・近い・・・!
静神社の創建は古く、800年代とも言われているようですが・・織物の技術集団の居住地だったともいわれるところからは・・
もうアレ氏関係しか考えられないですよね・・・(・・;)
と、思ったら「織姫像」が建立されていました・・・(゜゜)!
久慈の西、静織の里は昔まだ機を織る人がいなかった時に初めてこの里で織った
このためにこの名がある
と記されているそうです・・・!
時は下って江戸時代になると・・水戸徳川家の藩費によって維持管理がなされたそうです
寛文7年(1667)には徳川光圀公が社殿を修造、その際に銅印(重文)が発見されたそうで社宝になりました
天保の火災で社殿が焼失した際には、烈公(徳川斉昭公)が再建しました
合掌ー。
こちらがその天保12年(1841)の火災時に燃えた御神木の切り株ですね・・
「千度杉」と言うそうですが・・この御神木の周りを千回回ると願いが叶うという風習があったそうです
不思議だったのが・・本殿に向かって右手に大きな木があるのですが・・
その木陰というか木の下の一角だけ・・この日はもの凄い蒸し暑い日であったにも関わらず・・妙に涼しかったんです・・!
単なる木陰のそれ、という感じでは無く・・まるでその一部分だけクーラーというか・・除湿が掛かっているかの如く涼しかったのが不思議でした(゜゜)
境内には烈公の追鳥狩用の「陣太鼓」も保管されており、幕末ファンにも胸熱です!
維新後、廃藩後に静神社に奉納されたそうです
更に幕末関連がこのお社にはあって・・かの「桜田門外の変」の襲撃者の一人、斎藤監物がこの神社の神官(1822-1860)でした・・!
静神社の鳥居の前の道路を挟んで大きな溜池?があるのですが・・その池の向こうに斎藤監物の墓がありました
斎藤監物は同志の神官と共に井伊直弼の襲撃に加わったのですね・・・
という幕末史だけでもドキドキしているのに・・・
この藪は虫嫌い、ビビリで虚弱な私にはしんどい・・・(;´Д`)ヘビトカデナイヨネ
【斎藤監物 墓】。
合掌ー
最近は特に神ごとやら・・古代史ミステリーやらにすっかり心酔してしまっているような私ですが・・・
今回改めて今、幕末史のとんでもないエリアに住まわせていただいているんだな・・という実感をいたしました^^;
ということで今回は常陸二ノ宮「静神社」と、「桜田門外の変」の烈士の一人「斎藤監物」の墓を訪れました
今日もお付き合いいただきありがとうございました
@茨城2024
見るシアワセ 聞くシアワセ 知るシアワセ
感謝してます
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