名刹功山寺に到着しました。元治元年12月の深夜、
都落ちした
三条実美ら五卿が潜伏していたこの
功山寺を
高杉晋作が訪れます。このことによる「
高杉晋作回天義挙之所」の碑が建っていました。
萩藩政府「俗論派」を武力で打倒することを決意した晋作は、
功山寺潜伏中の三条ら五卿の前で、「ただいまより長州
男児の腕前お目にかけ申す」と挨拶したといいます。
そして下関新地の会所を襲撃するのですが、維新当時は「馬関(下関)義挙」と呼ばれていたそうです。
それが昭和40年前後から「
功山寺決起」と言われるようになり、今ではその呼び方が定着しているようです。
司馬先生の「世に棲む日日」を妄想しながら
功山寺を歩く・・。至福のひとときです・・。
功山寺でこの
銅像を見れるのも、至福のひとときを感じます。