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こんばんわー
もう3~4年前になりますが・・滋賀在住時に訪れた「渡来人歴史館」に関する記事です
ご興味の無い方は離脱くださいませ。
書こうか書かまいかずっと迷っていたんですけどね^^;その結果・・訪れてから既に3~4年経過してしまったという・・・
場所は国道1号線沿いにあります
JR大津駅からも近いようですね
私はホラ・・歴史、大好きじゃないですか^^;
「渡来人」とか聞いたらとりあえずはね・・見てみたいですわね
おっ、こんな所があるんだ・・と思い行ってみたワケでございます~
非常に綺麗な館内で、入場料はたしか100円でしたかな・・・
ワクワクしながら見学させていただいたのであります
いきなり飛び出す高松塚古墳の「女子群像」!
おお~・・・!って思ったものの・・なしていきなり高松塚古墳の壁画なんだろ・・・
と思ったら・・あ・・半島の女子の画が描かれているという話ですね
土偶だなんだの模型も飾られており、それなりに楽しく見学していました
「日本人はどこから来たか」な話も永遠のテーマでありますが・・
しかし、これまで言われて来た・・私達が学校等で習ってきた話はねえ・・もう古いですわね(^^)
もちろん渡来はこじゃんと来てはいるものの・・
その全てが外からやって来たワケじゃないですよ
(個人の見解です)
確かにこのボードはこれまでの「常識」だったのかも知れませんが・・今やそう考えていない人も多いんじゃないでしょうかねえ(^^)
あ・・そうか・・
私達は教えられてきた、んですもんね。
誰に?どこの影響下で?
もはやそんな時代・・とっくの昔に終わってまっせ~
これもまた、後ろの正面だあ~れ?かな(^^)笑
まあ・・そういうツッコミどころ満載な部分もまた・・好きモノには楽しいのですが(^^)
赤字で書いてある部分は半島関係の事ばかりか・・と・・
今頃になってようやく気が付きました^^;「渡来人」いうのは半島のことだったのね・・
だって「渡来人」言うたところで・・世界各地から「渡来」している人がごまんといるじゃないですか・・その人たち全部「渡来人」ですからね・・
年表が・・なんだか奈良時代~大正までがすっぽり抜けてて・・
急に昭和になってガッツリ羅列されてる・・・
「司馬遼太郎をゆく」で訪れた「鬼室集斯」も説明されていました
白村江の戦で百済を救援し参戦した倭国軍が戦に敗れ、滅亡した百済の難民を日本に受け入れたんですよね
鬼室集斯は日本に亡命し、時の天智天皇から今で言うところの「文部大臣」な役職を与えられたといいます
朝鮮通信使のフィギュアなんかも小奇麗に展示されていました
こうした半島との関係が密接にあるのは事実でしょう
そこには何ら問題はありません
歴史好きには楽しいです
今も昔も・・能力が高い人もたくさんいらっしゃるのもまた事実
個人個人は素敵な素晴らしい方々も多いでしょう
ついでに私は韓メシ、大好きです(^^)
ただ・・・
だんだんと時代を下って展示が展開されていくのですがそのうちに・・はれ(・_・;)?
と思い始めまして・・・
段々とその論調がね・・グチグチしてくるワケですよ・・・
えっ、なにこれ?となりますわね・・歴史を伝える施設なはずがね・・
と・・いうのも・・もはや多くを語らずともお解りの方にはお解りだとは思いますが・・
そうそう・・例のね・・あれですわ・・・アレ・・・
世界の平和を願って、小林正観さんの言葉をお送りいたしたいと思います
愚痴・文句・不平不満・泣き言・悪口
それ、言い続けてるとシアワセにはならないよ
お互いに助け、助けられ、感謝する事がなければシアワセにはなれない
以上で~す
今日もお読みいただきありがとうございました
嬉しい 楽しい 見る 知る シアワセ
感謝してます
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