うめじろうのええじゃないか!

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「神宮」@2019

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ついにやって来ました。神宮へ。
幕末ファンの私の興味がどんどん拡張し続け、昨今では古代史まで広がってきた感じですが・・、いわゆる神話?の世界といったものも、これまでの御伽話チックな先入観から、天皇史的な側面を後世に伝えんとするものなのか?というリアリティに目覚め、時奇遇にも「平成」から「令和」へという折、神宮へ訪れるに至ったのであります。
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天照大御神」。このあたりの私の認識は、あらゆる事象が混沌と入り混じっており、まだまだもやの中、といった所です。「天照大御神は皇室の御祖神であり 歴代天皇が厚くご崇敬になられています また私たちの総氏神でもあります」と説明書きにはあります。さらに、「約二千年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり 各地をめぐられたのち この五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました」と書かれています。崇神天皇・・?十代?「出雲の国譲り」??
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太陽神「ホアカリ」を祀るのが天橋立の「元伊勢」籠神社ですよね。そこから稲作水田が各地で開発され、近畿地方内部へと稲作集落を形成してゆく過程で、太陽神と豊穣神を祀る宮を設けたという認識をしているのですが、「ゴール」となるのが伊勢大神宮だったのでしょうか。
記紀神話」では、死者の国から地上世界に戻ったイザナギが(ここまでの話は割愛・・)、死の穢れを落とす禊ぎを行った時に生まれたのが、アマテラス、ツクヨミスサノオの三柱の神で、アマテラスは、天上世界である高天原統治権を委譲し太陽を神格化した神になった訳ですよね。そして、アマテラスの孫がニニギ。ニニギが地上に降りる時、アマテラスが持たせた鏡、これが「三種の神器」のひとつ、「八咫の鏡」ですね。八咫の鏡は歴代天皇のそばで祀られていたが、十代崇神天皇があまりにも畏れ多いとして「伊勢の地に祀った」といわれています。
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説明版にある、「十代崇神天皇の御代に五十鈴川のほとりにお鎮まりになられました」と、記紀神話の「十代崇神天皇が伊勢の地に祀った」。微妙にニュアンスの違いを感じるのですが、何を言わんとしているのでしょうか、そして、いまいちピントがくきりと来ない感は、何をぼやかそうとするものなのでしょうか?だとしたら更に、何故にぼやかす必要があるのでしょうか?次から次へと思索が巡ります。これこそが面白いんですけどね・・。
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さて、そんな歴史探訪にはまったくご興味の無い方には甚だ退屈なことでしょう・・苦笑
ここを訪れている周囲のほとんどの方がそうだと思います。笑
五十鈴川御手洗場に着きました。この日は雨。ひんやりした雨模様が聖界の厳かさを醸し出すようです。
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広大な敷地の内宮に圧倒されながら、辿り着きました正宮に!ブラタモリで見た景色だ!笑
ただひたすらに、感謝の誠を捧げます。合掌ー。
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学校で習った「高床式」ってやつに似ていますね。目を引くのが、布かれた石。
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この鮮やかな白い石は、天上界を表しているのだそうですね。黒い石が我々の棲む下界。なるほど~・・・、そもそもがきたない世界なんだなァ・・・、この世界って!こうして石を見ていると、それが驚くほど自然に納得出来るような気がしました・・苦笑
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内宮の木にも神々しさがビシバシ出ています・・。巨大な象かマンモスか・・!?獣の脚みたいで、まるで生きているようです・・。
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そして下界に戻って参りました。笑
お伊勢さんと言えばここですね!赤福本店。さすがの貫録です。
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この日は赤福はいただきませんでした・・。よくお土産でいただくので・・笑
お金は外国の観光客の皆さんにたくさん使っていただいて・・、いろいろと胸に迫るものがある神宮参りでした。一度訪れてみたかったので、とても満足でした。
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地下通路のこうした展示も、旅の者の気分を高めてくれて嬉しいですね。




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