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「上野彦馬宅跡」@龍馬をゆく2007

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英国留学を企てた上杉(近藤長次郎)は、密出国の準備中ふと、「写真を撮って自分の像を残しておこう」と、物語上では思うんですね。実際、写真を撮ったのはこの計画を考えた後なのかそれ以前なのかは解りませんが、大きな決心をするにあたってそう思うのも自然なことだと思います。
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新大工町の裏通りの一角。「舎密局」(せみきょく)という看板を出していたという日本における写真術の開祖、上野彦馬。この地で上野撮影局を営業していました。「舎密」とは化学のことだそうです。現代では写真も既にデジタル画像ですが、当時は写真の仕上がりまで2週間程掛かったそうです。さっそく写真撮影をする長次郎。しかし、留学計画があり2週間も待っている時間がないので何とか「急いでくれ」と申し出ます。無理を言う手前、その理由として密出国の事をつい漏らしてしまうのです。
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その翌日、たまたま写真撮影に訪れた白峰駿馬。上野曰く「今日は急ぎの用あって撮影出来ない」。何故だ?上野は長次郎の留学の事は社中の仲間はてっきり知っている事だと思って話してしまいます。これで、長次郎の密留学の件が露見してしまいました。
もの凄い長刀と、そしてピストルまで持って撮影した近藤長次郎の写真も有名ですね。長次郎だけでなく、幕末ビッグネームの錚々たるメンバーがここを訪れていたかと思うと鳥肌モンです。最近では例のフルベッキ写真も話題に事欠きませんが、いずれにしても写真というものが持つ情報力というか、ようやく写真という技術が日本にも登場した幕末は、それまで見えなかった情報がチラホラ見えるようになった時期でもあり、いわゆるミステリーを彩る一因になっています。そんな新しい技術面も幕末の魅力のひとつですね。


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