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「せごどん」南州神社@山形2018

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「せごどん」の第一話、上野の西郷像除幕式にて「こげなひとじゃなかっ・・!」と叫んで始まった時には一瞬ドキリ!としましたが、その後はファンタジックな展開にて、それはそれである意味肩肘張らずに楽しいかな、と思う私です。なにせまあ斉彬公が(役者が)抜きん出過ぎてるっ!と思ってしまうのは私だけでしょうか(笑)まあなにせカッコイイ・・。
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さて、そんな「せごどん」ゆかりの山形県酒田市、「南州神社」を訪れました。東北をまるで理解出来ていなくて、恥ずかしながら「庄内藩」と今更解って、早速走ってきたわけです・・
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鳥居をくぐると庭に置かれた大きな石碑が。「敬天愛人」です。さすが雪国、雪に埋もれています・・。
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そして前方に目をやると、・・・!?あ、・・あれは・・!!
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どこかでみたぞ・・、この銅像・・!!
そうです!薩摩です。鹿児島の武の公園、「西郷屋敷跡」に置かれていたあの銅像と同じです・・!
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一瞬、デジャブったこの銅像、「徳の交わり」と題されています。・・・。
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定説では、戊辰戦争における官軍からの厳しい処分を覚悟していた庄内藩であったが、西郷南州による寛大なものとなり、感銘を受けた庄内藩氏達は後に鹿児島を訪れ、南州の教えを受けた、といいます。
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庄内藩としては、メタメタに破壊された会津と同じように潰される・・と恐怖したことでしょう・・
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しかし南州翁の感大な措置にて・・、という構図です。「臥牛」こと、庄内藩士・菅実秀と西郷が談ずる様子を表している銅像だと思うのですが、ここからは私的な興味の本筋です
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はて?何故に庄内藩には寛大な措置をしたのか?先日の「諸説あり」という番組でも取り上げられていましたが、本間家の金、が目的だったから。という一説がありました。本間家とは、ご周知、日本で最大級の大地主で「本間様には及びもせぬが せめてなりたや殿様に」と謳われるほどの、つまり殿様以上の力を持つ、とされた豪商大地主です。そんな本間家の莫大な資金を官軍は利用したかったから、という説です。
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「本間家の金があったから」。たしかに、そうとも言えるでしょう。それが「歴史ミステリー」の正しき落とし所でしょうか。
しかし、私は単純に、庄内藩=酒井家だから、ではないかと思っています。
何故「酒井家だから」なのかは、明晰にお伝えするには今の私には甚だ勉強不足です(すみません・・)。
様々な関連だけを列挙してみると、
庄内藩清河八郎→浪士組→京都の会津新撰組江戸の庄内新徴組薩摩藩の挑発→江戸薩摩藩邸焼き打ち事件→戊辰戦争→維新のハードランディング
更に菅実秀は小栗上野介との繋がりもあった、という説もあります
幕末、井伊家(井伊直弼)が行ったいわゆる「安政の大獄」も、事の本質的には、この「庄内藩寛大なる処分」と同じものを感じています。
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そして私が今回背筋に冷たいものを感じた、この銅像の名。「徳の交わり」
「徳」の交わり
「徳」は徳川の「徳」でもありますよね・・



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