鳥居をくぐると庭に置かれた大きな石碑が。「敬天愛人」です。さすが雪国、雪に埋もれています・・。
そして前方に目をやると、・・・!?あ、・・あれは・・!!
どこかでみたぞ・・、この銅像・・!!
そうです!薩摩です。鹿児島の武の公園、「西郷屋敷跡」に置かれていたあの銅像と同じです・・!
一瞬、デジャブったこの銅像、「徳の交わり」と題されています。・・・。
はて?何故に庄内藩には寛大な措置をしたのか?先日の「諸説あり」という番組でも取り上げられていましたが、本間家の金、が目的だったから。という一説がありました。本間家とは、ご周知、日本で最大級の大地主で「本間様には及びもせぬが せめてなりたや殿様に」と謳われるほどの、つまり殿様以上の力を持つ、とされた豪商大地主です。そんな本間家の莫大な資金を官軍は利用したかったから、という説です。
「本間家の金があったから」。たしかに、そうとも言えるでしょう。それが「歴史ミステリー」の正しき落とし所でしょうか。
しかし、私は単純に、庄内藩=酒井家だから、ではないかと思っています。
何故「酒井家だから」なのかは、明晰にお伝えするには今の私には甚だ勉強不足です(すみません・・)。
様々な関連だけを列挙してみると、
更に菅実秀は小栗上野介との繋がりもあった、という説もあります
そして私が今回背筋に冷たいものを感じた、この銅像の名。「徳の交わり」
「徳」の交わり
「徳」は徳川の「徳」でもありますよね・・