「ジョン万次郎」こと中濱万次郎墓。ご周知、土佐の漁師で出漁中に遭難し、アメリカ捕鯨船に救助されます。同船の船員として従事し、船長の援助によりアメリカで学校教育を受けました。アメリカで約10年間暮らしたジョン万次郎は英語・数学・航海術・造船・測量などを学び嘉永3年に帰国しました。琉球に着いた万次郎一向を厚遇したのが薩摩藩の島津斉彬で、自ら万次郎に海外情勢を質問するなど、さすがは開明派の殿様です。
土佐に戻った万次郎に、河田小龍がアメリカ情勢を聞きとり調査をし、「漂巽記略」を著したことも有名ですね。絵師だけに、採色された絵入りの精細なものであったようです。そして江戸から剣術修行を終えて帰国したハタチの龍馬が小龍を訪れ話を聞きに行くのです。ジョン万のアメリカ話に二十歳の龍馬は大きく触発されたに違いありません。ここから龍馬は「蒸気船」「資本経済」といったものの時代の「力」を感じ取ったのではないでしょうか。
土佐で士分に取立てられた万次郎はその後、黒船来航への対応に迫られる幕府に招聘され、直参旗本の身分を与えられました。その英語力で翻訳や通訳、英語の教授など大変活躍されたこと想像に難くありません。そして万延元年の遣米使節団として咸臨丸に乗船し再び渡米するなど、その活躍ぶりは有名なところですね。ちなみに、墓石は先の戦争における東京大空襲で傷ついたものだそうで、万次郎とアメリカにおける一連の歴史の因縁深を感じざるを得ませんでした。