京浜急行「けいきゅうおおつ」駅を下車すると、看板に「坂本龍子の墓」とありました。
ご周知の通りお龍さんは龍馬亡きあと土佐の坂本家に身を寄せますが、長続きせず東京へ流転します。紆余曲折の末大道商人西
村松兵衛と再婚し「西村ツル」を名乗りました。
当時は「
三浦郡豊島村深田」(現在の
米が浜通り)に住んでいたといわれていますので、
横須賀中央駅の周辺の界隈で暮らしていたのでしょう。
入り組んだ路地を行き
信楽寺に着くとお龍の墓がありました。
明治39年に亡くなられたお龍さんの墓石には「
坂本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれています。