うめじろうのええじゃないか!

日常の 嬉しい 楽しい 幸せを

すごい!「神明造」の内宮と外宮が並列して祀られる【内外大神宮】|NaigeDaijingu|週末ジンジャー@茨城2025

本記事はアフィリエイト広告を利用しています

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

 

おはようございますー

うめじろうの「週末ジンジャー」のお時間でございますー

今日の「週末ジンジャー」は、茨城県筑西市小栗の

【内外大神宮】

です!

【内外大神宮】はなんと平安初期の大同元年(806)年の創建ということで・・これまたとんでもない歴史があるジンジャーです!

の、割には鳥居が新しくない?と思ったのですが・・どうやらあの東日本大震災にて元々あった1~3の鳥居までが倒壊し・・現在では再建された一の鳥居だけになっているようです・・だからなんですね・・・

ご本殿へと続く参道

舗装された参道というのもまた・・珍しいですね・・

先ほど、創建は806年ということでしたが平安京遷都の頃ですよね・・

一説ではもっと前の継体天皇の頃じゃないか・・という説もあるようで・・・

第25代武烈天皇の時代に国が乱れ天孫系王朝・神武王朝が断絶し、第26第継体天皇から出雲族から天皇を出した・・という説もあり・・・

その時代だったとしたら尚更深いミステリーを感じるうめじろうであります!(そう思いたいだけかもですが^^;ハハ)

ちなみに、その武烈天皇の時代に例の「竹内文書」も世から抹殺される危機に瀕し、武烈天皇平群真鳥に持たせて富山に隠させた、という話もあります!

階段を上がり拝殿のある境内に着きました

参道を挟むようにそびえる木が凄いです・・・(・・;)

手水舎には残念ながら水は出ていませんでした

正面には大きな拝殿です!

まずは参拝させていただきましょう~

ありがとうございます

ありがとうございます

ありがとうございます

この拝殿の向こう側にご本殿があるのですが・・元々この拝殿の位置にご本殿があったんだそうです

寛治~康和年間(1087~1104)当地は伊勢神宮内宮領となり、御厨(小栗御厨)でありました

みくりや・・そうです、神さまにお供えするものを調理する場所、またその為の土地であったワケです!

伊勢神宮御厨に勧請された神明社で、国指定重文です!

拝殿の横に【御遷殿】(遷宮がありました

重文の【御遷殿】は、本殿の建て替えや修復時などに御祭神を一時遷しする仮のお宮です

「一間社流造」で室町時代の古様をとどめる大変貴重なお社のようです!

なるほど・・だからこのように保護すべく、周囲を柵や屋根で覆っているんですね・・!

横から見ると正面に飛び出した屋根がやたらと長いですね(゜゜)

すごいなあ・・・このめちゃ長いキャップのつばみたいな感じが・・まさに「流造」ですね!

そしていよいよ・・

拝殿の後ろに鎮座する大きな御祭神をお祀りする御本殿に向かいます!

内外大神宮

内宮本殿

外宮本殿

共に重文!

内宮にお祀りするのは天照大神

外宮にお祀りするのは豊受大神

まさしく神宮!

おおお~~(゜゜)!

たしかに二つの大きな本殿が並列して建っております!

そのご本殿は「神明造」!(梁間二間の本格的な三間社神明造茅葺)

しかし今は茅葺屋根ではありませんね

木の隙間から覗き見ることしか出来ませんが・・たしかに立派な神明造りの御本殿です!

しかも二つの御本殿が横並びになっているのなんて・・初めて見ました(゜_゜)!!

これはすごいですね・・・(゚Д゚;)

裏手に回り込んでみるとその並び立つ二つの御本殿の様子がよく分ります!

本殿裏手には境内社もズラリ・・並んでおります・・!

こちらが天照大神さまをお祀りする内宮!

そして豊受大神をお祀りする外宮!

一見、同じ形をしているように見えますが・・

天照大神をお祀りする内宮よりも、豊受大神をお祀りする外宮の方がすこし小さく出来ていました!

千木を見ると、手前側の天照大神の内宮は内削ぎ

奥側の豊受大神の外宮は外削ぎです!

鰹木も立派ですね・・(゜゜)

今の御本殿は江戸時代(1979年)の建立とのことで・・屋根も銅板葺きです

元の茅葺のお社は、先ほどの「御遷殿」のような様相だったワケですよね・・!

天照大神豊受大神を一緒にお祀りしている神社と言えば「元伊勢」こと籠神社が有名ですよね!

それにしても「国内最古の」神明造ということで・・極めて貴重な文化財です!

ここで、うめじろうのジンジャーターイム!^^;笑

「神社検定初級」でも範疇に入るジンジャー基本知識のひとつです!

一緒に勉強いたしましょう~(#^^#)

神社の社殿は大きく2つに大別できます

ひとつは「神明造」

そしてもうひとつは「大社造」

今回の「内外大神宮」の社殿は「神明造」で、日本古来の穀物倉庫をルーツとする様式です!

入り口が「平」と言って社殿の幅の広い側にある「平入」という構造が特徴です

その代表格はもちろん、伊勢の「神宮」ですね!

伊勢の神宮唯一神明造」と言われ、掘立柱茅葺屋根が特徴

もう一方の「大社造」は古代の住居の形から発展した様式と言われています

神明造の「平入」に対し、大社造は「妻入」と言って妻側、お社の幅の狭い面に入り口がある構造です

神明造の正面の屋根を伸ばし向拝としたのが「流造」です!

先ほどの「御遷殿」の長い屋根がまさにそれ!ですね!

メジャーな神社で言えば「上賀茂神社」「下鴨神社」が代表格です

そもそも古代におけるこの国の信仰のカタチとは自然崇拝であり、太陽や月や木や磐など・・依代に祭壇をつけて祀ったものであったと思います、そしてやがてそれが神社へと変化していった

弥生、古墳時代になると渡来人と共に渡来神も入りそして仏教が伝来します

自然、仏教建築も入ってきました、「神宮寺」というものも出来てきます

平安時代になると、仏こそが神の真の姿であり、仏が神の姿で現れたという本地垂迹説」が登場し

鎌倉時代には、神こそが仏の真の姿、仏は神の仮の姿である、という「神本仏迹説」が生まれます

こうした状況からその影響は当然ながら建築物にも及び、特に入母屋造や権現造は仏教の影響を色濃く取り入れていると言われています

そうした中で古代日本の建造物を基礎として造られた神社の建築様式、「神明造」と「大社造」は混じり気のない神道本来の建築様式と言うことが出来るでしょう

それが、ここにあるのです!

この地、小栗の地は常陸国唯一の御厨であり伊勢神宮内宮の神域に属していたそうです

それが戦国時代の支配構造の変化に伴い荘園制が崩壊し、半ば自然消滅的に神宮との関係が解消されたんだとか・・(・。・;

それもなんだか寂しい感じがしますね・・・

ちなみに、「内外大神宮」は明治の初期頃までは「両社太神宮」と呼ばれていたそうです

内外大神宮では年に2回、「小栗内外大神宮太々神楽」が奉奏されるということです

いやー・・・・

それにしても茨城の神社巡り・・まだまだすごい所があったもんですね~!

何が凄いって・・こんなにすごい神社なのに・・私以外誰一人いやしない^^;笑

深い歴史・・と言ったら当たり前に西国のイメージがありましたが・・いやはや!

関東の・・茨城の歴史もかなりディープでヤバヤバな所がいっぱいです(・・;)!

今回もすごかったですね!面白かったですね~!(私だけ^^;?笑)

ということで、今日もお読みいただきありがとうございました

私のジンジャー巡りはまだまだ終わらない!

嬉しい 楽しい 見る 知る シアワセ

感謝してます

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

PR