約13年ほど前から、世間一般の例から漏れず、「龍馬・新撰組」から幕末を歩いて来ました。のめり込めばのめり込む程、有名作家の世界から脱しよう、史実を追求しよう、といった幕末ファンの気風を感じると共に、また一方では「ボクの幕末はファンタジーを楽しむものであってよいのだ」といった自論でもありました。が、しかし、ファンタジーを楽しまんと幕末スターを「追っ掛け」する中で、自然といわばある種の「磁力」によって、海に例えるならば抗えないひとつの「潮流」によって、時にはつむじ風が舞うように、渦潮が海底の砂を掻き上げるように引っ掻き回されながら、時に風が止み、まき上がった砂が沈殿し、はたと静けさを取り戻したその刹那、うすぼんやりと幕末その人の顔が浮かび上がってきたように思えるのです。輪郭はぼやけていて、それはボクの眼が悪いのか、それともその顔自体がぼやけたものなのか、自分でも今はよくわからないところに在ります。
さて、幕臣・榎本武揚。北海道に、ましてや函館に暮らした者にとって自然に耳にする名前ですが、「龍馬・新撰組前」のバス停にいた当時の私にはあまりピンとこない幕末人物でした。長崎海軍伝習所、オランダ留学、フリゲート艦開陽などたくさんの幕末ワードに関連する榎本。幕府と薩長の対立軸だけで幕末を見ていた頃にはまったくつまらないキャラでしたが、慶喜公や小栗忠順しかり、いわゆる薩長史観に上書きされた歴史思想によって自分がそう思わされていたことこそが、まさに幕末維新の成功を目の当たりにするような気がします。ついでながら「旧態依然としたお馬鹿で無能な幕府」と「時代の変化と先見の眼をもった有能なる薩長雄藩」というイメージ戦略も、むしろ幕府側観点から観て「うまくいってる」感のある固定観念です。ようやくここに辿り着きました。榎本武揚の墓前に。合掌ー