2021年秋、奈良国立博物館での特別公開「金峯山寺仁王門金剛力士立像」を見学してから、ぜひとも訪れてみたかった「金峯山寺」。
2022年3月に念願かなって訪れることが出来ました!
その記録です。
電車が山の麓まで来ていて、更にそこからケーブルカーが出ているなんて・・・。
いったいここはどういう場所なんでしょうか・・・。
何故に、このようなうな山深い場所にそこまでのインフラが整備されているのか・・・非常に不思議に感じました・・。
内地のトラディッショナルゾーンの道といったら、そらもう・・・狭い・・・。
グーグルマップ上で見ている限りでは、どんな道なのかまではよく分からない為、幾度となくとんでもない道に迷い込むこと、しょっちゅうあります・・・。
この日も、こっちから上がった方がスムーズじゃね?と思って行ったら、とんでもない住宅地に入り込んでしまい、Uターンすら出来ないくらいの住民しか通っちゃいけない道に迷い込んでしまいました・・・。
腐心の末観光用?駐車場に辿り着き、そこから徒歩でお寺に歩いて行きます。
ちなみにその駐車場も、ネットを見ると桜のシーズン等は有料らしいのですが、3月初頭でまだシーズンオフ状態の為か幸い無料でした。と、言っても、そもそも車2,3台しか停まっていませんでしたからね・・・。誰もいないようなものです・・・。
こちらは桜の名所であるということで(知らぬは私だけ)、シーズンには荘厳な景色がきっと広がるんでしょうね・・・。
こうした休憩所?の様子などにも、他には無い風情があるように感じました。
あの山桜が咲き誇ったら、まさに絵画のパネルでしょうね・・。
道すがら、いきなりとんでもない案内板が掲げられているではありませんか・・・!
この「大橋」。
大塔宮護良親王が鎌倉幕府倒幕に向けて吉野で挙兵。親王は吉野山に立てこもり幕府軍に立ち向かいます。「太平記」によれば、6万人の幕府軍を相手に、3千人の兵で1週間にわたって持ちこたえたといいます
そして、この大橋あたりは激戦となったようで、今でも「攻めが辻」と呼ばれています。その時のお堀の上を通しているのがこの「大橋」だそうで、いきなり大塔宮護良親王が登場しているじゃないですか・・・!ヤバっ・・・
ケーブルカーの駅から少しゆくと、「黒門」がありました。
黒門は金峯山寺の総門で、言うなれば吉野一山の総門というものだそうです。
金峯山というのは吉野山から大峯山に至る峯続きを指すそうで、言わばその総門ということになるようです。
「史蹟及び名勝吉野山」碑。
黒門を過ぎると見えてきたのが「銅の鳥居」(重文)です!
発心門とも呼ばれ、ここで修行の道に入ることを決心するんだそうです。つまるところ、俗世間から浄土への入口ということですね。
銅の鳥居を過ぎてまたしばらくゆくと、
あっ・・・
見えて来ました・・
もしかして・・これが・・
国宝「仁王門」(修復中)。
で・・・でかい・・・!!
足場を組んでるその様相は、まさしくビルそのものです!
なるほど~・・・・ここに本来「仁王門」が、ドーン!と構えているわけですね・・・!
そしてこの仁王門で本来にらみをきかせているのが・・・
この方たち・・・!
ですね・・・・!!!
すごい迫力・・・・!!
こちらの仁王門の修復工事が完了するまでの間、金剛力士立像は「奈良国立博物館」の仏像館に仮住まい、特別公開されています!(この像だけ写真撮影可)
総工費はなんと約20億円・・!!完成予定は令和10年(2028)頃の見込みだそうです・・・!
見てくださいこの様子・・・。
こんなん、普通に峠道の道路ですよね・・・・!
と、いうことで仁王門は拝むことは出来ませんが、もちろんそれは分かって来ているのですが、蔵王堂のある境内に到着いたしました!
国宝、蔵王堂。
くわああ・・・
凄いですね・・・。デカくて荘厳・・・!
金峯山寺の本堂。
高さ34m、四方36mの建物は、安土桃山時代に再建された大伽藍です・・・!本尊蔵王権現三体他、多くの尊像が安置されています。
お堂の中を拝観させていただきましたが、相変わらずお堂の内部、めちゃくちゃ寒い・・・!寒いというか、手先足先が痛いくらいでなかなか落ち着いて見学出来ないほどです・・。
やはり下界と違う空間というか、独特な荘厳さの中にあってのみなぎる緊張感がそうさせるのでしょうか・・、もう本当に我慢出来ないほどに・・痛寒い・・・!
ちなみに、この時は期間外だったので拝観出来ませんでしたが、「日本最大秘物ご本尊」金剛蔵王大権現三体が、2022年5月8日まで特別ご開帳されているようですので、これは願わくば拝観してみたいものです・・・!
こちら金剛蔵王大権現以外にも、多くの仏像が祀られており、痛寒いのにも増してその迫力と霊力に魂を抜き取られる思いになりました・・・。
とにかく・・・どこへ行っても仏像・・凄過ぎ・・・!!!
そして蔵王堂の正面に囲われた場所に、「四本桜」がありました。
こちらで元弘三年(1333)2月3日に、大塔宮護良親王が北条勢に攻められ吉野落城を覚悟した時、最後の酒宴を催されたのだそうです。
南朝の聖地・・・吉野。
護良親王・・、この辺りは目下、私は勉強中というか、なかなか難解で学習が進まないのですが・・とにかく何か今に繋がる一筋の糸(意図?)が在るような気がして・・・現在自身の歴史探索の課題のひとつになっています・・。
そういう意味でも今回のこの金峯山寺、吉野訪問は私の中で非常にインパクトの強いひとときでありました。
帰りの道すがら、芭蕉の句碑の周りをお掃除されていたおばあちゃんに会ったんですが、桜の時期をお尋ねしたら、わざわざ手を止めてお相手してくださいましてね、ここは標高が高いから、3月下旬になあ・・、って。
シーズンオフで人気も無い寒々しい時期に、吉野のお山で神様に出会ったような気がしましてね・・、おばあちゃんの素敵な笑顔がとっても印象に残りました。
その節は、どうもありがとうございました<(_ _)>
@奈良2022
こん