2020年10月、よみうり文化センターの講座「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」に参加いたしました(^^)
その11「永倉新八妾宅跡」
元道民の私としては、永倉新八は新撰組隊士の中でも思い入れのある隊士なのですが、その永倉新八が住んでいた場所だそうです!これは私も初めて知りまして、大興奮!今回のツアーで私が最も興奮したスポットかも知れません・・!
永倉新八は、かねてから馴染みを重ねていた島原遊郭の内亀屋の芸妓、小常との間に女児がありました。
「お磯」。先生の手にある資料には、杉村家蔵「岡田磯子」とあります。美人ですね。
大政奉還後、鳥羽伏見の戦いへとなだれ込む頃、永倉新八は愛児との別れの対面をしたようで、永倉新八「新撰組顛末記」にそのいきさつが書かれています。この、愛する娘との別れは、これまた大好きな映画で私が新撰組~幕末にハマるきっかけとなった「壬生義士伝」の吉村貫一郎にも繋がるようなドラマにて、腹の底から涙がるると湧いてくるような気分になってしまいます・・。
ちなみに、「開拓の村」、北海道開拓記念館には永倉新八が戊辰戦争時に着用していたとされる胴衣が保存されており、札幌における新撰組スポットのひとつであります。また、明治に永倉が剣術師範を務めていたという、樺戸集治監もファンの方にはオススメです。
神道無念流の猛者、永倉新八。その晩年の逸話に、ある日数人の暴漢に囲まれた永倉翁は、手にした一本の杖で一瞬にしてその暴漢らを叩き伏せた、という話があり、この話はもう・・鳥肌モンです・・。日々、命を懸けた修羅場をくぐって生き抜いて来た凄みというものからしたら、「最近の」暴漢なぞ風が吹くようなもんだったんじゃないか、と・・そんな凄みを感じる大好きなエピソードです。