2020年10月、よみうり文化センターの講座「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」に参加いたしました(^^)
その10「西本願寺」
自ら何度も訪れている「お西さん」こと、西本願寺。
恐らく、参加者の方々も、初めてここを訪れる、という方はおられないのではないでしょうか。しかし、そういう場所だからこそ、先生のお話を聞きながら歩く、というのはまた、新しい角度でお西さんを観れたように思います。
慶応元年(1865)3月10日、新撰組の屯所が壬生から西本願寺に移転されました。北集会所は、200畳もある巨大な建物だったそうです。
同年、閏5月末頃、幕府典医の松本良順がこの屯所を訪れたところ、隊士の総数170~180名のうち約1/3が病人で、裸で寝ていたそうです。
御影堂から阿弥陀堂を見学し、私は初めて「埋め木」というものを知りました・・。お堂の縁側や廊下の節穴や亀裂を、いろいろなモノをかたどった木で埋められているんです。これは瓢箪ですね。
ここにもお魚や、瓢箪らしきものをかたどった埋め木がありました。参拝者を楽しませんとする、大工さんの粋な気遣いがあるんですね!何度も訪れていながら、これは全然知りませんでした・・。
そして大銀杏。「逆さ銀杏」とも呼ばれるこの天然記念物の木は、本願寺に火災があった時に、この木から噴水のように水が噴き出して火事を消し止めた、という都市伝説もあるそうです・・笑 たしかに形が、独特な美しさを持っていますよね。
幕末には、禁門の変時、長州の品川弥二郎らが西本願寺に逃げ込んで、難を逃れたと聞きますが、西本願寺の敷地内に、金閣、銀閣と共に、京都三名閣と言われる「飛雲閣」という楼閣があるのも知りませんでした・・・。
休憩所にはその模型も展示されておりましたが、初めて知りました・・。いかに幕末ばかりに気を取られてあるか、ということですね・・・。
そして、ご周知、太鼓楼。新撰組が屯所を置いた幕末から、そのまま残るそうです。無論、何度も訪れていますが、こうした機会なので中を見学出来る?と淡い期待をしておりましたが、さすがにそれはありませんでした・・・。
新撰組ファンの方々と、「一緒に見る」というのは初めてだったので、そう言う意味では新鮮な気分がありました。
西本願寺の記録「諸日記」によると、慶応元年六月、新撰組副長の土方歳三は、「畳一枚に隊士一人が寝る手狭な環境と、猛暑によって誠に我慢できない。病人も出て隊士の不満を制止できない。阿弥陀堂の一部を貸してほしい」と願い出たらしく、これに対して西本願寺は、北集会所の改修を申し出て未使用部分に畳を敷いたり、また、壁を取り外して風通りを良くした、などと記述されているそうです。何だか昨今の、密を避ける、や、換気を良くする、と同じ内容だなと感じました・・。
ツアーはこの後、油の小路を歩き、締めの本光寺へと至ります。