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「佐女牛井之跡」@龍馬をゆく2019

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京都堀川通り。大変大きな通りですが、御池から南側は暗渠になっているそうで、暗渠と聞くとブラタモファンとしては俄然、興味が湧いてきます。笑
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その堀川通り沿いを北上すると、西本願寺、聞法開館、東急ホテルがありますが、参詣者専用駐車場に「佐女牛井之跡」という碑がありました。佐女牛井町という町名があるようですが、醒ヶ井通りという通りもあり、また、今回私が移住した滋賀県にも米原の方に「醒井」という地があるようですが、その関連は解りません。
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そしてこの地には、現在山科にある「本圀寺」が元々あったそうなのです。山科の本圀寺の説明書きによれば、昭和四十四年に京都六条から山科に移転した、とありました。
本圀寺。という字を見て、幕末マニアの私がはっ、とするのは「圀」の字です。そう、かの水戸藩二代藩主・徳川光圀公、「水戸黄門」様です。どうも江戸時代に、徳川光圀が生母の追善供養を行ったらしく、元々「本國寺」であったのを、自らの「圀」の字を与えたという説があるようです。水戸藩となんら関係があるお寺だったのでしょうか。
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調べてみると、本圀寺は鳥取池田藩の屯所であったそう。鳥取藩主と言えば、池田慶徳。烈公の五男ではありませんか。慶喜の兄ですよね。また、文久の頃には水戸藩士が駐屯していたという説もあり、なにやら水戸藩との関連が深いお寺だったようなのです。何故このログを「龍馬をゆく」に持って来たのか?と思われる方も多いかと思いますが、もう少し、幕末探索を見て行きましょう。何年後かに、紐付いてくるやも知れません。



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