










左手には「幣良受の池」
創建時より懇々と湧き出でる、池だそうです。その地形・地質により、常に水位が変わらない話がブラタモリでもやっていましたが、それと同じような池なのでしょうか?
小高い丘を上がると、祠がありました
その脇に掲げられた説明書き。「大本神論(出口なお開祖)」とあり、出口王仁三郎の名があります。書かれている内容はさっぱり意味が解りませんが、以下のような言葉が書かれていました。「平成二十九年五月八日玉鉾神社切紙神事」「ここに紙切神事の如く世に落ち隠れていた地上神」「落とされていた神々をこの世に迎える神業が完成し」「三六北南十一星天神大神となりて御鎮座給る」
「切り紙神事」とは、紙を折ってそれを切り、そこからいわゆるお告げが導き出されるというもので、孝明天皇が行っていた神事ですよね?
そして脚元には玉のオブジェに
富士山から噴出するかのような北斗七星が、描かれていました。これは一体何を意味するのでしょうか。
池のほとりに戻ると、「ユダヤキリスト大神」と書かれた札があり
ここにも五芒星のマークと、その中に十字架が描かれているオブジェを見つけました
境内には庭があり
その一角に置かれた大きな石碑
「孝明天皇より賜りし御歌」
「照る影を ひら手に受けし旭形 千代にかがやく いさとなりけり」
何故ここに、孝明天皇を祀る神社が創建されたのか、それには「旭形亀太郎」が関わっていたようです。旭形亀太郎は元々長州力士隊で、その後大阪相撲に移籍した力士のようで、もうひとつ経緯が解らないのですが、なんと禁門の変時に、孝明天皇を抱えて逃げたんだそうです。これにより、孝明天皇から感謝の句を賜ったようです。境内の奥、庭園の丘上に上ると、旭形家の墓がありました。旭形がここに、孝明天皇を祀る神社を造った、ということなのでしょうか。
「黄泉の国」の神も祀られているのでしょうか?神宮参りをするのもあって、古代神話やらなんやらが、私の中でごちゃまぜ状態になってしまいます・・。ユダヤやキリスト等、色々な神が祀られている神社です・・
神社の門前には、亀の置物も据えられていました
「旭形亀太郎に奉納された道行を守護する亀神」と説明されていました
非常に興味深い神社です。まだまだ勉強が足りません。洞察を深化させてゆく為には、あらゆる角度、方面からの勉強が不可欠であると、改めて認識したツアーでした。そういう意味では、際限なく膨れてしまった歴史への興味は、ある意味必要不可欠なものであるような気がし、自分の悪趣味を肯定するひとつの理由付けにはなるかも知れません。苦笑
駅に戻ってきました
これに乗って、名古屋まで戻ります