慶応元年(1865)1月8日、石蔵屋(ぜんざい屋)に土佐の浪士、
大利鼎吉、
田中光顕らが潜伏していました。大阪の市中に火を放ち、混乱をおこす計画を立て、あわよくば
大坂城を乗っ取ろうと企んでいたそうです。
そこに踏み込んだのが
新撰組!谷三十郎らが浪士捕縛の為に踏み込みます。しかし多くは外出していたそうで、残っていた
大利鼎吉が
新撰組に斬られました。
「
大利鼎吉遭難之地」碑を建てたのは、共に石蔵屋に潜伏していた
田中光顕。昭和になって建立したそうです。
幕末の暗殺事件を描いた
司馬遼太郎「幕末」。12のエピソードのうちのひとつ、「浪華城焼討」で
田中光顕を描いた物語にも登場する現場です。
司馬遼太郎を歩く贅沢。正しいオトナの、オヤジの愉しみ方です(笑