うめじろうのええじゃないか!

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たけや製パン「太平山」

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こんばんわ、うめじろうです今日は「たべある記」とブラタモ的歴史・地形話とのコラボレーションです秋田駅に隣接する久保田城。ご周知、関ヶ原の後、徳川に積極的につかなかったとして佐竹氏が常陸の国、今の茨城県から移って来たんですね。で、当初はもっと港寄り、土崎湊に近い秋田城に封入されたのですが、佐竹氏は湊よりももっと温暖な秋田平野の内陸部である今の久保田城に移りました。(この、内陸部の気象の温暖さを佐竹氏が着目した、という点が、今日の秋田こまちのブランドに繋がっているとも言えます)本来であれば常陸の国から秋田に左遷された身でありながら、僅か半年で城を移すなど到底ありえない話ですよね・・。このエピソードにこそ佐竹義宣の猛々しさが表れてると言うか、やはり戦国時代の猛者のありようなのか、関ヶ原の前から既に仲が良かったといわれる「石田三成をたすける!」と天下に言い放っていたといいますから、仰天させられます・・。ちなみに、この「石田三成噺」にも都市伝説があり、関ヶ原の後実は裏で佐竹氏が三成を秋田に呼び、匿って生きていたのではないか?というものです。これについては私の「専門外」ではありますが、後日その調査に行った報告?を後述できたらと思っています笑!さて、横に逸れましたが・・、この久保田城、非常に特徴的でして、通常お城って台地のへりに立ち、その背面は台地と繋がっているものだと思うのです(城のことも専門外にて僭越ながら・・)。確かに久保田城は台地に立つのですが、言わば島のような台地にあり、周囲がほぼ沼地でした。背中側には沼地を挟むようにして手形山があり(上写真)さらに後ろに太平山がそびえます。お城の櫓から土地を眺めると、その様子がよく解り面白いです。地形だけでなく、気象にも目を付けた点が佐竹氏の特徴のひとつかも知れませんが、非常に珍しいお城のひとつと言えるのではないでしょうか。
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で、本題です長ーい歴史話に登場しました「太平山」。地元の「たけや製パン」の酒まんです
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あー・・美味い。。歴史、地形、都市伝説(笑)と楽しむスイーツなひとときは最高ですねほんだら、また