うめじろうのええじゃないか!

幕末巡りと食べ歩き、時々うめじ論

「會津中老田中玄純墓」@函館高龍寺

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最近「墓マイラー」の是非が問われる記事がありましたが、個人でひっそりと歴史の偉人をお参りするのは別にええじゃないか、なうめじろうです・・。さて、蝦夷地に赴くならば誰もが通ったと言える蝦夷地の「玄関」箱館。つぶさに調べ挙げれば数えきれないほどの「偉人」が函館を通過したと言えるかと思いますが、今回はこれまた偉人だらけの墓地「高龍時」でのひとコマのご紹介です。
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墓地の奥まった一角に、塀で囲まれた墓地がありました。なにやら異様な雰囲気があり、これは普通じゃない感ありあり。掲げられたプレートを見てみると・・
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「田中家墓所」とありました。でた!「會津中老玄純」の名が!そしてその下に記されている名前が「田中清玄」です。
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ここからが謎解き知的欲求のゴングが私の中で鳴り響きます(笑)さっそく近年オープンしたての「函館蔦谷書店」に走り「田中清玄自伝」(ちくま文庫)を購入しました。函館高龍時のこの墓所からこの本を手にするに至ったのですが、これがまた非常に面白く読み応えのあるものでした。
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一番奥にあるひときわ大きな墓石が「田中玄純墓」です。田中玄純は蝦夷地常詰若年寄で北海道の陣将代です。樺太、千島を巡守した後日高の勇払で病死、函館高龍寺に葬られました。ちなみに會津松平家の初代の家老が田中正玄で正玄は保科正之に仕えた人です。そして幕末と言えば「田中土佐田中玄清ですね。京都守護職を受けた松平容保に従い京へ赴き見回り組をつくった人です。そういう意味では新撰組の「もと」をつくった人と言っても良いのかもしれませんね。そんな「田中家」の家老の墓地がこうして函館にあり、そしてそれを建立したのが「田中清玄」ということです。「せいげん」さんについては前出の「田中清玄自伝」に詳しいですが、戦前は武装時代の日本共産党の首領でその後熱烈な天皇主義者に転向、実業家として中東の石油を日本に持ち込むなど政界のフィクサーとしても有名な人物です。「自伝」の中の清玄氏の言は非常に注目しどころ満載で、ご興味のある方にはぜひ一読をお勧めするところですが、明治維新を語る項で一か所だけ坂本龍馬が登場する部分がありますのでご紹介したいと思います。
「挑発に乗るなと言ったのが、会津藩では田中土佐西郷頼母であり、全国的には勝海舟、土佐の坂本龍馬中岡慎太郎もそうでした。しかし、その坂本も中岡も、討幕天誅を唱えるテロリストたちは殺してしまったんですから、馬鹿な話ですよ。彼等が生きていたら西郷や坂本や中岡の政権ができ、軍をしっかり握って、日本中を戦場とする、あんな惨めなことにはならなかったでしょうね。その後、日本ももっと変わっていたでしょう。」
「日本の国情をもっとよく生かした革命になっていたのではと思うんですよ。少なくとも後世になって軍国主義を生み出すようなことにはならなかったでしょうね」
もうひとつ、田中氏がロンドンで司馬遼太郎氏と会った時の話として、司馬先生が田中氏にこう言ったそうです。
「田中さん、私はあなたの先祖の田中土佐よりも、田中清玄その人に興味を持つ」
田中氏曰く、私に言わせれば彼は薩長代表のようなもんだからね。「あんたも人が悪いなあ。俺は自分に対してなんか、もう絶望しているよ」とそう答えたそうです。その話を回顧しつつ、最後にこうおっしゃいます。
「まあ、会津人の唯一の欠点は、狭量なことかもしれませんなあ(笑)」
私はこれを読みながら思わず「会津の三泣き」の「一泣き」を思い浮かべてしまいました。
函館高龍時の墓地から話がだいぶ派してしまいましたが、一点の歴史ポイントから実に大きな広がりを見せるのが函館の歴史の面白さのひとつ、であるのかもしれません。ぜひ、函館の歴史観光、町歩きの面白さを深めるネタのひとつにしていただければ幸いです。


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