流石に門がまえが立派です。道路を歩いていてもすぐに「おっ」と思いました。
佐藤家は土方歳三の姉のぶの嫁ぎ先であり、歳三も度々訪れていたといいます。
早速、中に入って見学させていただきます。ボランティアさん?のガイドさんの説明がとても丁寧で聞いていてとても解り易くて楽しかったです。なるほど、日野宿の名主佐藤彦五郎さんが新撰組の大支援者であり、ここの様子を実際に見学させてもらいその感覚が深まったような気がしました。めずらしい「蝙蝠の釘隠し」もあったりして、知的欲求を刺激される楽しいひとときです。
そして、土方歳三ファンが泣いて頬ずりして寝転ぶ(ちょっと誇張しました・・苦笑)、という歳三がよく昼寝をしていたと伝わる座敷です。なるほど~・・ここで若かりし頃の歳三はいろんなことを想っていたんでしょうね・・。
ガイドさんのお話がお上手なので、もっとじっくりいろいろお聞きしたいと思いましたが、次に訪れるお客さんの案内が待っているご様子、忙しそうですね。
こちらの部屋は箱館を脱出し土方の遺品を持ち帰った市村鉄之助が暮らした部屋だそうです。これは函館の「土方歳三コンテスト」の寸劇にも登場する名場面のひとつですが、死を覚悟した歳三が鉄之助に自分の遺品を日野まで送り届けるよう命じます。銃弾飛び交う中官軍の眼をかいくぐって東京まで走る、まさに命がけの逃走です。5月に五稜郭を脱出した鉄之助は7月になってようやくここに辿り着いたそうです。写真とともに遺髪や手紙等を佐藤家に届けたそうです。恐らくは16歳の鉄之助を自分と共に討死させるのをよしとしなかった、歳三の想いからの命だったのではないでしょうか。その後約2年ほど、土方の遺言もあってか鉄之助はここで佐藤家の庇護を受けて暮らしました。その後故郷である岐阜の大垣に帰ったとされる鉄之助ですが、その後の消息は全く不明です。これがまたミステリーを呼び、一説には後の西南戦争時に西郷軍の一員として討死した、という話もありたしか映画にも謎の剣士として登場してたかと思います。函館に住んでいた私には今回ここが最も興奮したポイントでした。
ついつい興奮してしまいました・・。厠をお借りして、日野宿本陣、佐藤家を辞したいと思います。
ちなみに入口横の現在の駐車場の場所が、当時佐藤道場があった場所だそうです。