福井城のすぐ脇にある「福井神社」を訪れました。
歩を進めると向こうに見えてきました、春嶽公の
銅像が。
松平春嶽像。現代人の我々にはまさに「賢候」と呼ぶに相応しいと思う春嶽公ですが、
農本主義時代のマストな人々の見方はどうだったのでしょうか?
幕末、十六代藩主を襲封した
松平春嶽は富国強兵策を推進させます。進歩的な思想が地元熊本では受け入れられずにいた
熊本藩士の
横井小楠を藩に招き
福井藩の政治顧問を務めさせたり、財政にあかるい三
岡八郎らの策を積極的に取り入れ殖産興業を進めさせます。
土佐を脱藩した龍馬に
勝海舟を紹介したのも
開明派で有名な
松平春嶽だったともいわれています。
文久2年に春嶽は幕府の
政事総裁職になり、翌
文久3年5月に龍馬は勝に命じられ福井の春嶽を訪ねます。神戸海軍塾資金の借用の為です。物語で龍馬は面白おかしく熱弁を振るい、ついには5000両という大金を借用するに至るのです。
開明的な春嶽は勝の海軍に投資をしたのでしょう。