うめじろうのええじゃないか!

貧困中年のサバイバル日記

幕末

【横浜開港資料館】「明治天皇横濱へ展」@横浜2016

横浜開港資料館を訪れました 幕末の開港資料を見学したいのはもとより、コレを見学したくてですね・・・。。いつもマエケンを見る度に明治天皇を連想してしまう幕末ファンの私です・・・(苦笑) 「明治天皇横濱へ」展。2016/10/28~2017/1/29までの開催ですので、…

本覚寺@横浜2016

神奈川宿は「本覚寺」を訪れました 当時は横浜の港(神奈川の港)が一望できたのでしょう、アメリカ領事館でありました 地球的観点からみたらほんの僅かな160年ほどの「直前」にも関わらず、その様相はすっかり様変わりしてしまっている近代の様子ですが、ブ…

渋沢栄一墓@東京2016

谷中霊園の徳川家墓地の近くに渋沢栄一の墓がありました 渋沢栄一は慶喜公に仕えた幕臣として有名ですが、日本における資本主義の父、とも言われているようで、官僚、実業家として多種多様な活躍をされています。数年前に話題になった「理研」の創設者でもあ…

伊達宗城墓@東京2016

東京は谷中霊園です。幕末「四賢侯」のひとり、「伊達宗城墓」。 罪人として逃亡中の高野長英や、長州の村田蔵六を宇和島藩に招き入れるなど、いわゆる開明的な殿様として有名ですね。幕末に関わる重要人物は「みんな」、「安政の大獄」で謹慎等になるんです…

大黒天「経王寺」山門に残る新政府軍の弾痕

西日暮里の大黒天「経王寺」前を通りかかり、案内板を目にして思わず足が止まりました 慶応4年(1868)上野戦争時、敗走した彰義隊をかくまっていたため、新政府軍の攻撃を受けることになり、その山門には弾痕が残るとありました 幕末を巡っていると、墓マイ…

榎本武揚墓@東京2016

東京「吉祥寺」を訪れました。吉祥寺ではなく文京区のお寺、「吉祥寺」です。 「榎本武揚の墓」。蝦夷地に21年間暮らした私にとって内地→蝦夷地の先人に対する畏敬の念はとてつもないものがあります。 約13年ほど前から、世間一般の例から漏れず、「龍馬・新…

最上徳内墓@東京2016

先日、都内を散策中、思いがけなく「最上徳内の墓」に遭遇しました 蓮光寺の前を通りかかると、石碑があるとむむっ・・と反応してしまう昨今(苦笑)、「史蹟 最上徳内」!?に心内に雄たけびをあげてしまいました・・。 最近ではすっかり「墓マイラー」な私・・。…

「日本近代文化事始の地」@東京2016

東京築地のあかつき公園の近くに「日本近代文化事始の地」がありました 「慶応義塾発祥の地」として、安政5年に福沢諭吉がこの地に学塾を開いてから100年を記念して建てられた記念碑のようです 「蘭学の泉はここに」として、解体新書な絵図が刻まれた石碑が…

あかつき公園「シーボルト像」@東京2016

東京築地の「あかつき公園」内に設置されたシーボルト像。2016年夏に千葉の佐倉で開催されていた「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」は非常に見応えがありましたが、何故東京築地に銅像があるのでしょうか。 シーボルトと言えば長崎にゆかりの深いイメー…

徳川斉昭(烈公)歌碑@茨城2016

先日ご紹介した旧取手宿本陣染野家住宅。水戸徳川の藩主も利用していました。 その染野家住宅脇に裏山へ続く道があり ここに徳川斉昭の歌碑が建立されていました。天保年間に詠んだ歌だそうです 「指して行 さほのとりての渡し舟 おもふかたへは とくつきに…

佐倉順天堂記念館@千葉2016

佐倉市の「佐倉順天堂記念館」です 天保14年に開かれた蘭医学塾兼診療所ということで、堀田正睦がここに招いたそうです。西洋医学が始まった地のひとつということでしょうか。 安政年間に建てられた建物の一部が残るそうで、これは幕末ファンとしてはおっ、…

堀田正睦墓@千葉2016

佐倉市甚大寺にやって来ました 県指定史跡の「堀田家墓所」 堀田正睦墓 非常に立派なお墓ですね

タウンゼント・ハリス像@千葉2016

佐倉城址に並んで建つ堀田正睦とタウンゼント・ハリスの像 タウンゼント・ハリスも幕末有名人のひとりですね ここの銅像は堀田正睦にしてもハリスにしても非常にハンサムに出来ています

堀田正睦像@千葉2016

佐倉藩5代藩主堀田正睦像。「風雲児たち」ファンの私たちにとってはこれまた印象的な老中主座ですね(笑) 山積する外交・内政問題などの激務がたたり?「阿部ちゃん」が亡くなってしまいます。安政5年(1858)アメリカ総領事タウンゼント・ハリスに日米修好…

増上寺@東京2016

今日はご周知、徳川家の菩提寺、増上寺をぶらりです。 ははあ・・これが鐘楼堂の鐘ですね。「今鳴るは 芝か上野か浅草か」ってやつですね。戦後再建されたものとは言え、非常に立派ですね・・。 ここ、増上寺を訪れたのは勿論、六人の将軍が眠る「徳川将軍家墓所…

「万延元年遣米使節記念碑」@東京2016

2014年龍馬をゆく~東京編でもUPした「ペルリ提督の像」。「幕末」の項にも再載させていただきます。 今回は「万延元年遣米使節記念碑」です。万延元年(1860)、日米修好通商条約締結の批准書の交換をワシントンで行う為、ここ竹芝からポーハタン号に乗船…

大山巌像@東京2016

九段坂公園の大山巌の騎馬像です。西郷隆盛の従兄弟、文久2年の寺田屋事件では公武合体派に捕えられ謹慎、戊辰戦争では西郷の薩軍として伏見から奥羽まで転戦、西南戦争では政府軍として確固たる地位につきました。

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」@国立歴史民族博物館

千葉県佐倉市にある「国立歴史民族博物館」で開催されている「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」を見学してきました。 シーボルトと聞くと「風雲児たち」ファンとしては「おたくさあ~!!」という叫びを連想してしまうのですが(笑)、こらあもう、幕末…

新徴組屯所跡碑@東京2016

飯田橋の「歴史のプロムナード」にある「新徴組屯所跡」碑 新徴組?と一瞬何の話だか混乱してしまいましたが・・、上京した浪士組のうち僅か十数名だけが清河八郎の企てに乗らず在京し続け後の「新撰組」に、江戸に戻った多くの浪士は新徴組として庄内藩預かり…

岩瀬忠震墓@東京2016

今日は幕臣、岩瀬忠震の墓を訪ねます 雑司ヶ谷霊園に「岩瀬肥後守墓通」の碑が建ち、墓所を示していました。岩瀬忠震といえば老中主座・阿部正弘に見出された「幕末三俊」の一人で、安政2年にはロシアのプチャーチンと交渉し「日露和親条約」を、また安政5年…

小栗上野介墓@東京2016

雑司ヶ谷霊園です。小栗上野介(忠順)墓。 墓石の背面に「小栗上野介」の文字が刻まれていました が、これだけの偉人にしては墓石が小さなものだと思いませんか・・。。幕末を読む上でかなり奥が深そうな小栗上野介、ゆっくり、じっくり趣味の幕末探求を続け…

玉泉寺@下田2016

下田の玉泉寺に向かいました。なまこ壁というのでしょうか?実に雰囲気がありますね 玉泉寺入口に到着です 「史跡玉泉寺」の看板が設置されていました。幕末ファンならずとも?観光客が訪れる下田の大きなスポットのひとつなのでしょう。 門をくぐって境内に…

北辰社牧場跡@東京2016

飯田橋から九段下へ向かう目白通り沿いには「歴史のプロムナード」と銘打って飯田橋の歴史遺産を標柱が紹介しています。ブラタモリを愛視聴する私ですが、縄文の頃?はこのあたりも波の打ち寄せる入江だったということで、今からは想像も出来ず面白いですね…

「安直楼」@下田2016

「唐人お吉」が明治15年に開いた店、「安直楼」 下田の歴史散策のポイントになっています 雰囲気がありますね・・・。42歳で安直楼を開いたお吉ですが、わずか二年後には廃業してしまいます・・。 「唐人」と世間に蔑まれまさに時代の荒波に翻弄され続けた感のあ…

唐人お吉墓(唐人お吉記念館)@下田2016

伊豆下田の宝福寺を訪れました 幕末ファンにとって悲話のひとつとして有名なのが「唐人お吉」さんです。 天保12年(1841)生まれのお吉さん。写真が残っていますが平成の感覚で見ても美しい方ですね。写真左下に松浦武四郎の写真がありますが、お吉は京の芸…

下岡蓮杖の碑と銅像@下田2016

下田公園を下って歩くと、「下岡蓮杖翁之碑」と銅像がありました。下岡蓮杖というと上野彦馬などと同じく日本の写真の先覚者の一人です。 何やら不思議な杖が印象的ですね・・・。これは師の名前に由来して蓮根の形をした杖を作らせ、その恩を忘れないために持…

長楽寺(日露和親条約締結之地)@下田2016

「幕末」と言えば一般的に嘉永6年のペリーの黒船がドドーン!と来航、といった場面から「お話」が始まるのが通例ですが、私、うめじろう的幕末は「ロシア」から始まった、というのが持論です。長く道民として暮らして来た私にとって、また「風雲児たち」ファ…

伊地知正治墓@東京2016

青山霊園、伊地知正治墓。薩摩の精忠組ですね。

副島種臣墓@東京2016

青山霊園、副島種臣墓。副島種臣は枝吉神陽の弟ですね。佐賀藩士というと嘉永3年(1850)の楠公義祭同盟の結成に興味がそそられます。幕末における楠公際祀とその嚆矢となった佐賀藩は見逃せませんし、楠公をはじめて公に顕彰した水戸二代藩主光圀公とのつな…

有村次左衛門墓@東京2016

有村次左衛門といえば「桜田門外の変」ですね。水戸浪士とともに井伊直弼を襲撃し首をあげるといういわば「桜田門外の主役」です。 安政7年の3月3日は雪降る朝だったといいます。この日の青山霊園は先日都心に降った雪が芝生の上に残っていました。合掌