うめじろうのええじゃないか!

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#歴史

「山南敬助墓」@京都2006

壬生寺周辺から少しだけ歩いて「光緑寺」へ向かいました。 光緑寺に到着。新撰組隊士の墓があるということで、参拝させていただきました。 碑に大きく「新撰組之墓」とあります。 山南敬助墓。こちらのお寺さんには、沖田氏縁者の墓や野口健司らの墓もあるよ…

「八木源之蒸、為三郎墓」@京都2006

「八木家」の源之蒸さんのお墓。 そして為三郎さんのお墓。合掌 壬生寺共同墓地、というのでしょうか、壬生寺南側の仏光通りです。

「壬生寺」@京都2006

八木邸や前川邸、新徳寺と同じエリアにある壬生寺。 「壬生寺の境内では沖田総司がよく子どもたちと遊んでいた」などと言われていますね。 壬生寺にある近藤勇の遺髪塔。 そして胸像。いかにも、な姿が銅像によくマッチするといいますか、真っ直ぐな様子がよ…

「新徳寺」@京都2006

清河八郎が集めた浪士らに演説を振るった場所ですね。清河八郎といえば玄武館北辰一刀流。新徳寺の本堂で清河は浪士隊の真の目的は朝廷の命を受けての攘夷決行と宣言します。 将軍上洛を私的に利用する清河の独断に反発した近藤ら天然理心流一派、そして芹沢…

前川邸、「古高俊太郎拷問の土蔵」@京都2006

前川邸といえば山南敬助と明里のドラマ、と前述しましたが、もうひとつ、「池田屋」につながる古高俊太郎の捕縛、拷問の舞台として有名です。 前川邸の土蔵には今もその時の拷問に使われたと思われるロープが残されていると聞きました。

「前川邸」@京都2006

前川邸。ここで思い出されるのが物語的に「山南敬助と明里」です。 隊を脱走した山南敬助が切腹をした場所として、島原の明里との別れのシーンは物語のハイライトのひとつです。邸宅は住居の為一般には非公開でしたが、新撰組のドラマ等に出演する役者さんら…

「八木邸」@京都2006

幕末ファンになるキッカケが浅田次郎先生の「壬生義士伝」だった私は、当然新撰組にも深い興味があります。敬愛する司馬遼太郎先生も「竜馬」と「燃えよ」を同時進行で書いていた、という話を聞いてその凄さに唖然としましたが、龍馬らとまったく同時期に活…

越前福井藩上屋敷跡@龍馬をゆく2015

2014年は福井を訪れましたが、福井藩と龍馬の関係も深いものがあると思います。その江戸の上屋敷跡地付近を散策しました。 龍馬は近藤長次郎らとこの江戸の越前松平守の上屋敷を訪れているようです。現在の東京国際郵便局やNTTのビルが立ち並ぶ広大な土地…

伝馬町牢屋敷跡@龍馬をゆく2014

小伝馬町の十思公園にやって来ました。幕末の安政の大獄では吉田松陰や橋本左内らが投獄された牢屋敷として有名ですね。 私が訪れた時は十思公園の改装工事中で、・・・幕末巡りでこのパターン、私結構多いんですよね・・・。付近には「牢屋敷跡から発見された石垣…

芝公園「ペルリ提督の像」@龍馬をゆく2014

増上寺といえば徳川家の菩提寺として有名ですが、今回はスルーしました・・。じっくり訪れたいポイントに他なりません。 日比谷通りを挟んだ緑地に「ペルリ提督の像」がありました。 ペルリ提督もあちこちに銅像があったと思いますが、都心のペルリさんは実に…

薩摩藩邸上屋敷跡@龍馬をゆく2014

三田にあるNEC本社ビルの北側の植え込みに碑がありました。このビルは大きさ、形がひときわ目立ちますのですぐわかるのですが、碑の場所はビルの周囲をぐるぐる探し周りました・・。薩摩藩上屋敷はNEC本社ビルの上にあったわけではなく、北側の植え込み…

江戸開城「西郷南州・勝海舟会見之地」@龍馬をゆく2014

慶応4年(1868)3月13日、西郷隆盛、勝海舟が江戸開城の会議を行なう。江戸総攻撃目前のぎりぎりの交渉、緊張感が走ります。 碑の下にはレリーフがあり、これは有名な絵ですね。 田町駅を降りて三田口を右手に歩いた三菱自動車本社のビルの前です。

「西郷南州・勝海舟会見の図」@龍馬をゆく2014

JR田町駅三田口にある「西郷南州・勝海舟会見の図」。 これは非常に緊迫した雰囲気が表現されていて、とても見応えのあるものです。 いわゆる「江戸無血開城」の交渉を描いたものですが、個人的にお気に入りの「図」です。エスカレーターの入口壁面に設置…

浜川砲台跡@龍馬をゆく2010

「龍馬」ののぼりがたくさん立つ商店街を海の方へ歩いて浜川砲台跡地へ向かいます。 「立会川」は古地図をみると「立會川」と書かれていて會津と重なって幕末魂を萌えさせられますが、かつて刑場がありここまで立ち会った(見送った?)のが名前の由来と言わ…

立会川の「龍馬像」@龍馬をゆく2010

北浜川児童公園に「龍馬像」がありました。 2004年に高知県から寄贈されたものらしく、例によって立脚肩肘懐手バージョンですね。 それにしても全国各地にある龍馬像、その人気の高さがここからもうかがい知れますね。

土佐藩品川下屋敷跡付近@龍馬をゆく2010

京急「立会川駅」には「ようこそ坂本龍馬ゆかりの地立会川へ」の表示がありました。 時は2010年、大河パワーが吹き荒れていました。 これも行きたかったんですがね~・・・・!龍馬のガラス写真が目玉の催しだったと思うのですが、この記事を書いている関東在住の…

「桜田門」@龍馬をゆく2010

「桜田門」にやってきました。 ご周知、幕末史上最も大きな事件のひとつ、「桜田門外の変」の現場です。 この事件は水戸の烈公、斉昭VS井伊直弼、南紀派×一橋派の様相のように思えますが、もっと踏み込んでいくと幕末維新そのものの「震源」が水戸にあるよ…

土佐藩上屋敷跡地@龍馬をゆく2010

土佐藩上屋敷跡地は現在の東京国際フォーラム付近といわれています。ライブ等の催しに訪れた方も多いのではないでしょうか。 その東京国際フォーラムのエントランス?に銅像があります。徳川家康による江戸幕府開幕から遡ること約150年、1456年に江戸城を初…

お龍の墓@龍馬をゆく2005

京浜急行「けいきゅうおおつ」駅を下車すると、看板に「坂本龍子の墓」とありました。 京急大津駅から路地を歩き信楽寺へ向かいます。 ご周知の通りお龍さんは龍馬亡きあと土佐の坂本家に身を寄せますが、長続きせず東京へ流転します。紆余曲折の末大道商人…

澤辺琢磨とニコライ

龍馬と武市の縁戚にあたる土佐の澤辺琢磨にまつわるはなしがあります。澤辺琢磨は江戸での剣術修行中のある晩、酒に酔って拾った金時計を売ってしまいました。それが露見し、澤辺は切腹に追い込まれます。 そこで龍馬と武市が機転を利かせ、澤辺を江戸から逃…

「安政5年と推定される龍馬直筆の手紙浦臼町に寄贈」のニュース@龍馬をゆく2013

2013年3月、安政5年のものと推定される龍馬直筆の手紙が浦臼町に寄贈された、というニュースがありました。浦臼町在住の個人の方が前述の龍馬の親類が浦臼町に暮らしていた時代、この方の家に寄宿していた等の関係から譲り受けたものだそうです。直筆のお宝…

函館の「坂本龍馬像」@龍馬をゆく2009

北海道坂本龍馬記念館前の道路を挟んだ向こう側に、右手を天に突き上げる坂本龍馬の像がみえます。 左手には本、そして天高く突き上げたる右手。右手・・・やけにデカ太くないですかね・・・。 全国各地の龍馬像を訪ねて来ましたが、ここの龍馬が最も「新しい」も…

「北海道坂本龍馬記念館」@龍馬をゆく2009

「北海道坂本龍馬記念館」が函館にオープンした2009年当時の話です。 まだ工事中・・にも関わらず気になって仕方なかった私です・・・(苦笑) この「北海道坂本龍馬記念館」オープンを記念した催し、「第一回幕末維新人物イラストコンテスト」が開催されました。…

坂本龍馬と北海道@龍馬をゆく2009

元治元年(1864)6月17日の勝海舟の日記に注目してみました。 「坂本龍馬下東、黒龍丸にて来る。聞く、京摂の過激輩数十人、皆蝦夷地開発通商、為国家奮発す。此輩黒龍船にて神戸より乗廻すべく、此義御所並に水泉公もご承知なり」とあり、坂本龍馬が蝦夷地…

坂本留・直衛の墓@龍馬をゆく2005

浦臼の墓地に「坂本龍馬家の墓」という看板があります。坂本家のお墓ですが、「龍馬家」というのはちょっと戸惑いますね・・・(苦笑)。 坂本留、直衛の墓。後ろに樺戸連山を望み残雪を頂く山並みの風景はとても綺麗でした。場所は札幌から北上すると、右手に…

明治37年開催の「坂本龍馬遺品展」@龍馬をゆく2005

浦臼郷土資料館を見学し北海道と坂本家との関係を学習しました。そこで私的大注目の史料がもうひとつありました。明治37年(1904)に浦臼聖園小学校にて開催されたという「坂本龍馬遺品展」(下写真)です。龍馬の愛刀、いわゆる「血染めの掛け軸」、紋服等…

高松太郎の「海援隊員標識」@龍馬をゆく2005

浦臼郷土資料館で北海道が龍馬不毛の地ではない事を知り、興奮しながら史料を見学しました。坂本家で使用されていた家財道具等が展示され、ガラスケースにはこれまた重要史料が・・。 明治23年に龍馬の幕末の功績が認められ遺族に下賜になった「印籠」や、 才…

「浦臼郷土資料館」@龍馬をゆく2005

「龍馬をゆく」を始めた頃の北海道編を振り返ってみましょう。私が幕末、龍馬ファンになり始めて2~3年の頃、北海道にも龍馬ゆかりの地があるんだ!?と興奮して向かったのが「浦臼郷土資料館」です。 龍馬の長姉千鶴の次男、坂本直寛は自由民権運動家で後…

グーグルマップで見る京都⇔福井@龍馬をゆく2014

私的には龍馬の福井訪問というと慶応3年の11月、三岡八郎を新政府に出仕させるべく説得に訪れた時の印象が強いのですが、やはりその直後、京都に戻ってすぐに暗殺されてしまった事もその印象を強めているのかもしれません。 ところで、京都⇔福井ってどれくら…

「福井市立郷土歴史博物館」と春嶽像@龍馬をゆく2014

いよいよ今回の「龍馬をゆく」旅も終りに近づいてきました。 市内を散策し、「福井市立郷土歴史博物館」に向かいました。 福井の歴史が詳しく展示されていて実に有意義な時間を過ごしました。こうした施設内にはよく地図やそこの地形を模したジオラマが展示…