うめじろうのええじゃないか!

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#歴史

「四稜郭」@函館2009

函館「どこにあるのスポット」としても名高い?「四稜郭」。旧幕府軍と言えばよいのか、蝦夷共和国と言えばよいのか私には難しいところですが、五稜郭の後方を固める為に築いた台場です。 明治2年に兵士、住民で僅か数日のうちに造られたという四稜郭は地元…

「函館市恵山郷土博物館」@恵山2010

函館在住時に椴法華や尾札部、南茅部側のことを私は「函館のイーストコースト」と呼んでいたのですが、「明日イーストコースト行ってぐる」的な使い方です(笑)。その、イーストコーストの「根元」には恵山があり毎年6月には「つつじ」が咲き誇りお祭りが開…

「亀田八幡宮」@函館2009

箱館戦争終焉時の談判の場として知られる「亀田八幡宮」です。 「市内最古の木造建築」とも言われる「カメハチ」の社殿は文久3年(1863)に改築されたそうで、文久3年と言えばまさに後の新撰組となる近藤ら浪士組が江戸小石川伝通院に集結し江戸を発つ、とい…

「箱館奉行所」@函館2010

平成22年ですから2010年ですね、五稜郭公園のど真ん中に復元された「箱館奉行所」が落成しました。歴史ファンのみならず多くの市民が楽しみにしていたのではないでしょうか? 入口には古写真とともに奉行所の説明書きが設置されていて、このオープンを待って…

「土方・啄木浪漫館」@函館2005

たしかかつては「石川啄木記念館」なるものじゃなかったかな?と思うのですが、H15年頃に「土方」が合体したようですね。漁火通り沿いの啄木像のある公園の近くにその特徴的な建物はあります。 個人の方?が収蔵された品がたくさん展示されていて、ファンを…

「土方歳三最期の地碑」@函館2009

函館は若松町の八幡通りにある「若松緑地」という公園にやってきました。かつてこの辺りが「一本木」と呼ばれていた箱館村と亀田村の境だったところです。 そしてご周知、諸説あるものの土方歳三が銃弾に斃れたとされるのがここ、「土方歳三最期の地」とされ…

「碧血碑」@函館2005

観光で訪れたという方も多いかも知れません。観光ポイントのひとつにもなっている「碧血碑」。碧血碑という名称の由来は「義に殉した武人の血は、3年経つと碧色に変わる」という中国の故事からきているそうです。私も幾度となくここを訪れていますが、昼間で…

「傷心惨目碑」@函館2014

函館「高龍寺」。こちらもものすごい「方々」が眠っていらっしゃる歴史の深いお寺さんですね。「新撰組」の項では多くは書ききれず、また脱線しまくってしまうのでここでは「傷心惨目碑」だけにいたします(苦笑)。 函館戦争寺、高龍寺はもっと坂の下の方に…

「土方歳三と新撰組隊士の供養碑」@函館2005

函館は「称名寺」さん、幕末・歴史ファンには外せないお寺さんです。 「土方歳三と新撰組隊士供養碑」。

「松前奉行所跡」@松前2008

例によって?「新撰組」から逸れてすみません・・。新撰組、土方歳三、旧幕府軍の流れで少し広がってしまいました・・。「松前奉行所跡」です。松前町役場がその跡地となっています。

「松前城」@松前2008

日本最期の築城「松前城」。北海道で城(天守)のある景色はここだけなので道民目線では非常に稀有な町です。 土方歳三率いる旧幕府軍が攻め込み落城するんですね。 松前藩についてはこれまた稀有な藩として興味が尽きないのですが、幕末からは少し離れた点…

「サラキ岬」@木古内2011

幕末と言えば外せない船、「咸臨丸」。その咸臨丸が嵐に巻き込まれ遭難、沈没したのが木古内町サラキ岬の沖です。 このサラキ岬の公園には咸臨丸のモニュメント(船の模型)が設置されています。大潮の日には遠浅な海岸が向こうまで見渡せて、北海道特有の初…

日野宿本陣の「蝙蝠の釘隠し」

先週、日野の「土方歳三資料館」に行ってきました。そうです、土方歳三の愛刀「和泉守兼定」が特別公開されていた為で、これには興奮しました。愛さんの解説も聞け、歳三の鉢金や鎖帷子なども見学出来、興奮と満足感でホクホクして家路につきました。これは…

「土方歳三嘆きの松」@江差2005

開陽丸を見学し、移動してきました「旧檜山爾志郡役所」。ここは観光で有名な「旧中村家住宅」の交差点の坂を登ったところにあります。 明治20年に建てられたというこの郡役所は道内で唯一残っているもので、当時警察署と役所を兼ねた施設だったようです。「…

「開陽丸」@江差2005

江差町の海上に復元された「開陽丸」を訪れた記録です。 「徳川幕府最強の軍艦!」とあるように、当時の幕府主力艦船の「開陽丸」。江差沖に沈没するに至るワケですが、その開陽丸の引き揚げ調査が幾度も行われ、これまでに約3万点の遺物が引き上げられたそ…

「二股口古戦場跡地」@函館2010

土方率いる旧幕府軍が天然の防衛線を張り新政府軍を撃退した「二股口古戦場跡地」へやって来ました。 やって来ました、が・・・。が・・。。。人けのない山中に分け入るのが怖く・・。。何が怖いって熊が怖く・・。 それでもビビりながらも少しだけ歩を進め・・、「立ち…

「鷲ノ木史跡公園」@函館2013

榎本艦隊の鷲ノ木上陸地の近くに「鷲ノ木史跡公園」があります。史跡公園と言って地味なもので、しかも国道からの入口がわかりずらい・・ので、マニアックな公園のひとつかもしれませんね・・。 「史跡公園」の裏側?からは榎本軍上陸地に歩いていけるような案内…

「榎本軍鷲ノ木上陸地」@函館2009

函館シリーズです。慶応4年10月、榎本武揚率いる旧幕府軍はここ鷲ノ木浜に上陸します。上絵は2009年のものです。 2010年写真。約6年間函館市民だったので絵がいっぱいあります(笑)後方にそびえる駒ケ岳の双峰が美しいです。駒ケ岳は見る方向によって山のカ…

「勝海舟立像」@龍馬をゆく2015

浅草です。雷門を通り吾妻橋へ。昨今の東京新名所であるスカイツリーと、有名な「アレ」が見えます。 「アレ」の終わりの部分・・、しっぽの部分と言えばよろしいでしょうか・・・・苦笑。 勝海舟立像の案内板がありました。幕末ファンに親切な看板です。 見えて来…

【伊東甲子太郎、藤堂平助墓】戒光寺@京都2006

「油小路」を練り歩いた後、伊東甲子太郎らの墓を訪れました。元々伊東一派も光縁寺に埋葬されたそうですが、後にこちらへ改葬されたそうです。 伊東甲子太郎墓 藤堂平助墓 服部、そして毛内の墓 合掌

「原田左之助が後期に住んでいたであろう場所」@京都2006

怪力、豪傑なイメージの原田左之助ですが、この人もその最期がいまひとつ判然としないミステリアスな面を持つ方です。芹沢鴨暗殺や池田屋、禁門の変に三条大橋制札事件、御陵衛士襲撃など新撰組における数々の大事件にことごとく関わるいわば主役で、胆力の…

「油小路」@京都2006

「御陵衛士」として新撰組を脱隊した伊東甲子太郎は案の定、とった感じで新撰組に暗殺されます。慶応3年11月、龍馬暗殺事件の僅か3日後、油小路で新撰組によって暗殺されました。その日伊東は国事の歓談に近藤の妾宅に誘われ、勧められるままに杯を重ね夜10…

「御陵衛士屯所跡(高台寺月真院)」@京都2006

慶応3年3月、近藤と袂を分かった伊東甲子太郎は孝明天皇を御衛りする「御稜衛士」となり新撰組を離脱します。北辰一刀流の同門、藤堂平助も師である伊東と行動を共にしました。「間者」として斎藤一もこれに参加するのも物語で重要な一面を占める部分ですね…

「不動堂村屯所跡」@京都2006

西本願寺の屯所から再度屯所の移転が検討され、慶応3年6月に西本願寺の資金を得て不動堂村に屯所を移転します。拷問や切腹、そして当時では珍しかったでしょう、隊士の栄養面を考えての肉食による周囲への臭いの問題・・等々、西本願寺も相当苦慮していた事が…

「西本願寺」@京都2006

晩年の島田魁の気分で?西本願寺まで歩いてきました。ご周知、慶応元年手狭になった壬生から新撰組がここへ屯所を移してきました。面倒くさいのが来てしまった・・という事で、僧侶は相当苦慮したといった話もよくきくのですが、一方の土方らも迷惑を掛けない…

「島田魁が晩年住んでいたであろう場所」@京都2006

島田魁が晩年、この界隈から西本願寺の警備に通っていたとされる場所です。残念ながら当時のメモを紛失し、今もう一度行けと言われても解らなくなってしまいました・・・。 島田魁というと照英さんを連想してしまうのですが・・、非常に大柄で腕力の強い、という…

「輪違屋」@京都2006

もうひとつ、島原で興味を惹かれたのが「輪違屋」でした。ここはもう、幕末・新撰組の話ならビリビリ痺れる作品を提供してくださる浅田次郎先生の小説、「輪違屋糸里」です。輪違屋は「置屋」と呼ばれ、太夫や芸妓を抱えている所です。幕末の「色」をめぐる…

「角屋」@京都2006

島原にやって来ました。新撰組もよく通った界隈でしょう。 西本願寺からもほど近く、新撰組の物語にもよく登場します。大門と柳に当時を偲ばせる雰囲気が出ています。 角屋は「揚屋」と呼ばれており、芸妓を派遣してもらって客に遊宴させる場所です。これに…

「京都守護職跡地」@京都2006

新撰組といえば会津藩主松平容保が担う「京都守護職御預かり」ということで、その跡地へとやって参りました。現在の京都府庁です。京都守護職を受けた松平容保は非常にドラマになる面だと思いますが、会津武士道たる歴史や文化、風土を代名詞的に顕すように…

「中井庄五郎殉難之地」@龍馬をゆく2006

坂本龍馬暗殺の黒幕として疑われた紀州藩士三浦休太郎。「いろは丸事件」で龍馬側に莫大な賠償金を取られた紀州藩に恨みを買って暗殺された、と考えた陸奥宗光らは三浦らが酒宴中の天満屋を襲撃します。三浦は身の危険から新撰組に警護を依頼し、この時は斎…